未成熟の推察
第1章 ミク
黒木は油断していた。
処置が終わり、眠らせた患者が起き上がるなど、想定していなかったからだ。
給湯室でお湯を沸かし、本を読む黒木の背後に、老人はゆっくりと近づく。
左手にはメスが握られ、黒木へと迫っていた。
「おっ……ぐぁ…」
「な、なんだ。お前、起きて、いや、誰だ?」
間一髪のところで、メスは叩き落とされた。
突如現れた黒服により、ホームレスの復讐は失敗したのだ。
黒服は老人を羽交い締めにして気を失わせると、その場に横たわらせた。
「助け、られた、のか」
「迂闊だったな。助けたつもりはない。だがまだ死なれては困る。お前はお前の仕事をしろ。我らの仕事は裏方だ。この事は匠には言うな。いいな」
黒服は給湯室を後にしようとする。
黒木はその男の首にある傷を見逃しはしなかった。
「まさか、亜門……なのか?」
黒服は一瞬立ち止まり、振り返りはしないまでも、首を少し揺らした。
「もう忘れろ、黒木」
「津田が、あの、蛇が、そんなに、そんなに…
「終わったことなんだ!」
亜門と呼ばれた黒服は、一喝すると、早足でその場を立ち去った。
黒木はその場に崩れ落ち、自分の記憶を疑った。
「生きていた………生きていたんだな」