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スノードロップ

第1章 こい、はじめました。

「…なにかあったの?」

リビングに入るや否や、掛けられた言葉はそれだった。
一瞬にして体が硬直する。

「な、なにが」

自分でも可笑しいくらいに声が裏返ったのがわかる。顔もひきつっているかもしれない。

「まあ、いいわ、ご飯食べちゃいなさい」

母は笑っているように見えた。
やや不自然な動作で、席につく。

「(恋して胸一杯ってやつか)」

酢豚のいい匂いが鼻についたが、一向に食欲は沸いてはこなかった。
しかし、これ以上疑われないようにするため、美月は必死に夕飯を詰め込んでいく。
その様子を見ている母は、相変わらず笑っているようだった。


そんなことがあったからか、食事中は少しギクシャクしていた母と他愛もない話をすることが出来ていた。
始めこそ美月が必死に、それこそ隠し事がバレないようにと懸命に話しかけていたが、母はというというも通りに、落ち着いており、時々大袈裟に笑ったりして話を聞いていてくれた。
次第に美月も以前のように普通に会話することを楽しんでいった。
美月は、そんな母にはやはり敵わないなと感じる。
いつも何かあっても、大概はこうして自然に何もなかったように振る舞われ、そうしていくうちにいつの間にか母への鬱陶しいという感情は消えてしまう。

「(明日も本屋に行ってみよう)」

母と話していくうちに、少しだけ気持ちが落ち着いた美月は、心のどこかでそんな風に思っていた。
行ってどうするかは、その時考えて。とりあえずは行動してみることにしたのだ。何も告白する訳じゃない。
薦められた本の感想を伝えるだけ。そう、ただそれだけ。
もしかしたら、またあの顔を見たら、勘違いだったなんてこともあるかもしれない。
そんな万に1つもない可能性まで考えながら、気が付いたら[勿忘草]の装丁に何度も指を這わせていた。

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