
青い桜は何を願う
第9章 かなしみの姫と騎士と
さくらの胸は、莢の聞かせてくれる桜花にまつわる逸話に、ときめいていた。莢という一人の人間に、酔いしれていた。
莢の艶麗な横顔は、眺めているだけで胸が忙しなくなる。匂やかな気配も、果てないような透明感を湛えながら秘めたる熱を孕んだ声も、さくらの官能をおびやかす。
さくらには、こうも魅惑的な莢が何故、世に言う軟派な行為に出たのか理解し難い。しかも選ばれた幸せ者は、とりたてて取り柄もないさくら自身だ。
「ところで、桜は品種ごとに花言葉が違うんだってね。こういう枝垂れ桜は優美」
さくらは眺めていた一角から目を離して、莢に振り向く。
白い桜の花弁に触れた、莢の甘い視線を一身に受けた。
「えっ?あ、ああ……枝垂れ桜、そうねっ。莢ちゃんとは気が合いそうだわ」
「山桜は貴方に微笑む。合格や成功を意味するサクラサクって、ここからきてるんだね。染井吉野や八重桜。普段よく見るこういう桜は、優れた美人、純潔、淡白、それから」
「精神美?」
「うん。さくらちゃんは名前負けしていない」
「えっ……」
莢が綺麗に微笑んだ。
さくらは莢の視線をいざなう幾多もの桜の木々に、幾らか嫉妬を覚えつつあった。
浜辺を歩くさくら達を挟んで海を見守る故郷の花は、春の恩寵と美しい少女の眼差しを受けて、いっそう気高く懐かしく咲き誇る。
莢の片手だけでは足りない。視線も声も、心も身体も魂も、さくらは全てが欲しくなる。
焦心した。
にわかに莢と目が合った。
「薄紅色の似合う女の子、好きなんだ。さくらちゃんが着ているワンピみたいな、うすーい桜みたいな薄紅色」
さくらは、得も言われぬ莢の瞳に見つめられた。優しい指先を髪に感じて、とろける心地に引きずられてゆく。
右手は莢と繋いだまま、さっきは染井吉野を慈しんでいた左手も、今、独占しているのはさくら一人だ。
「さくらちゃんと一緒だと、桜花の精にさらわれてしまうんじゃないかと思う」
「──……」
「お似合いじゃない?私達」
莢は、少女の扱いに慣れている。
さくらは思った。
初対面のさくらが特別というわけではないのだと分かっていても、莢の科白に胸が満ちる。
潮風が、さくらと莢を撫でていった。
さくらの腕の青い氷桜が、春の風に呼応した。普通の人間なら幻覚を見てもおかしくない、強い甘い匂いが辺りを包んだ。
