
青い桜は何を願う
第9章 かなしみの姫と騎士と
「とっても、とっても綺麗ね!莢ちゃん……!」
さくらは岩場に走り寄り、荷物を置いた。私物のポシェットはともかく、このはに返しそびれたワンピースの入った紙袋を汚さないよう、苔の少ない岩場を選んだ。
「うん、とても。ただ」
「莢ちゃん?」
「さくらちゃんの純粋な色の前にはどんな景色も敵わない。この美しい風景は、さくらちゃん。貴女が見せてくれる魔法だ」
鼻を掠めたのは潮風か、それとも莢のオードトワレか。
さくらは、ふと、つい最近もどこかでこの香りを嗅いだ気がした。
甘い砂糖菓子にも似通う、ミントブルーの色を連想する芳香が、さくらの記憶の鍵穴に、吸い寄せられる
『…──リーシェ様!』
遠くで、誰かに呼ばれた声が聞こえた。
花の蜜を含んだ甘さを伴う、それでいて涼しげな声を悲痛に歪めてさくらを呼んでくれたのは、誰だったのか。真新しい記憶なのにも関わらず、はっきりしない。
「───…」
「さくらちゃん」
莢に名前を囁かれると、さくらは弾かれたように我に返った。
現実に、何かが芝生の上に落ちる音がした。
「………っ」
さくらは、直立したまま囚われた短い夢から解放された。莢を見上げたのはほんの刹那だ。あえかな両腕が伸びてきて、何も考えられないまま、優美な抱擁に捕らわれたからだ。
甘辛いミントの匂いが、さっきにも増して濃化した。
引き寄せられ合うようにして二つの身体が密着すれば、莢の一点の曇りもない瞳が視界から消えた。さくらの目蓋の裏側に、ただただ濡れた黒曜石の如く輝きが、焼きついて離れない。脚が覚束なくなって、力が抜け落ちていく。
「…──莢ちゃん……」
莢の肩越しに、芝生の上に転がった紙袋が見えた。さっきの落下音の出どころを知った。さくらは頭の片隅で、手製のランチの安否を案じた。それとは裏腹、今は、莢の温もりを感じていたい。
さくらは、震える腕を莢の背に回す。
見かけより華奢なのに引き替え、安心して何もかも委ねたくなる莢の体温が、懐かしい。
『…──リーシェ様!』
遠くで、また、遠い昔から知っている感じの声が聞こえた。
