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青い桜は何を願う

第9章 かなしみの姫と騎士と


「このは先輩っ」

 さくらは自分の鎖骨に絡みついてきた両腕に、指先を伸ばす。
 薄手のリネンのブルゾンの袖にくるまれた腕は、たおやかで、儚げで、そのくせ頼もしい。今しがたさくらを呼んでくれたソプラノ同様、いくら感じても足りないほど懐かしい。

「何故……来て下さったんですの。私なんかに、会いに……?」

「さくらちゃんに会いたい他に、来る理由なんてないよぉ」

「でも、私は莢ちゃんと……私は、貴女を……デラ──…貴女を」

 今日の今日まで忘れて、さいごの日、貴女を助けようともしなかった。氷華の役人達から。

 さくらの喉元まで突き上げてきた反駁が、自ずと押し戻されていった。

「…………」

 口にしても無駄だ。
 カイルをなくして、デラまで失おうとしていた。リーシェは無力だった。無力な王女を咎めたところで、何も変わらない。デラは悟っていたのだろう。そしてデラの青い桜の力が作用してこそ、さくらもこのはも、皆、この地で再び巡り会えた。
 このはのことだ。さくらがどれだけ慚愧に暮れても、笑って宥めてくれるだけだ。

「思い出してくれたんだ」

「……はい」

「ありがと」

「──……」

「ごめんね。大好き。……さくらちゃんのもので、いられて良かった。……」

 さくらは、このはの手の甲に指先を這わす。温度を含んだ淡雪よろしくきめこまやかな顆粒層の質感を、噛み締めるように、指の腹に刻み込むように、愛でる。

 声が聞きたい。見つめていたい。抱き締められたまま、命ごとこのはのものになりたい。リーシェとデラの、あの物語の続きが見たい。

 きっと叶わない。出逢ったばかりの少女二人が、長年連れ添ってきた姫と護衛の模倣など、するものではない。

 じっくりとあたためていこう。さくらはこのはをもっと知って、このはにさくらはもっともっと知ってもらう。
 それから初めて恋が始まる。ハッピーエンドであれ、やはり互いに別の人を選ぶのであれ、きっとさくらの今いる先は、濃厚で、かけがえない日次になる。

「このは先輩」

「んー?」

「美術館、まだ間に合いますか?」

「私ともデートしてくれるんだ」

 このはの腕がほどけていった。
 さくらが一週間前手渡されたのと同じ印字の入場券が、このはの肩にかかっていたバッグから出てきた。







第9章 かなしみの姫と騎士と─完─

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