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青い桜は何を願う

第3章 青い花の記憶


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 ミゼレッタ家の居城、壮大な庭園に囲われた宮殿は、氷華王国の中心部に構えてあった。そして、その裏手に聳えるなだらかな山は、この土地だけに棲息している氷桜(こおりざくら)のアイスブルーに、年中彩られていた。

 甘辛い、春に咲く桜花の匂いにも似通う氷桜の芳香は、しかしそれより甘ったるい。

 氷桜は、つまるところ麻薬だ。ただし、通常のドラッグと異なるのは、氷桜がその用量、或いは投与される人間の体質によって、効能を変えるところにあった。そしてミゼレッタ家の血を引く人間と、ある条件を満たした人間に限っては、その毒性は十分な効果を発揮しない。

 氷華王国は、広い世界の歴史の中でも、珍しいほど平和な国だ。

 歴代の王達は、氷桜に含まれる幻覚作用を応用して、民を屈従させてきたからだ。それでなくても、青い桜の痣を持たない人間は、その匂いを嗅ぐだけで、目眩や動悸に襲われる。

 ミゼレッタ家は、常に氷桜を盾にして、家臣や民達に牽制してきたのである。

 もっとも氷桜は処方次第で、どんな病魔も取り払える。怪我や奇病を癒す神の手とも謳われていた。

 氷桜のエキスを含んだサプリメントは流通していた。だが、一般の貴族や国民は、氷桜に近づくことを禁じられていた。
 そのために、実物を間近で見たことのない彼らの間で、繁栄の花とも傾国の花とも呼ばれていたその実存は、疑われていたことさえあった。







 リーシェはある日、カイルと些細な口喧嘩から仲違いした。
 氷華と天祈が戦を起こして、まもなく経った秋の頃だ。

 何故、あれだけ頭に血が上ったのか。リーシェは、今となっては喧嘩の原因も思い出せない。

 ただ、カイルに、とても大切なものを冒涜された覚えだけはある。
 カイルは思慮深く優しい恋人だった。リーシェの愛するものを同じように愛してくれていた彼に、悔しい思いを強いられたなんて、喧嘩の記憶すら実は悪い夢だったのではないかと今でも疑る。
 だが、リーシェはさればこそ、あの時、意地になったのかも知れない。

 カイルは追ってこなかった。

 それから先、暫くの記憶は残っていない。

 さくらの中のリーシェの記憶は、驚異的に鮮明なところもあれば、断片的なところもあった。

 それからリーシェのカイルに関する残った次の記憶は、最後の敵の陣地での惨劇だ。

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