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青い桜は何を願う

第3章 青い花の記憶


* * * * * * *

 むせかえるような花の匂いに包まれた。

 懐かしい、禁忌の匂いが、懐かしい。

 …──リーシェ様。

 最愛の少女の名を呼んで、ああ、またこの夢だと莢は思った。

 リーシェ・ミゼレッタは言わずもがな、氷桜の毒に冒されない体質の持ち主だった。花の蜜が身体に入れば少しは病を患うらしいが、そんな事故はまずありえない。

 リーシェの右腕にあった青い花の痣も、こんな甘い匂いがしていた。氷桜の匂いに最も近い芳香らしいが、王家の純血な人間の身体に必ず現れるその痣に、毒性はない。

 莢は、何度、氷華にいた最後の日の記憶に迫られて、夢とうつつを彷徨ったろうか。

 あの日、永遠の眠りに就くより前に見た夢の中でも、こんな匂いに包まれていた。ただし、こんな痛みは感じなかった。

 莢は、生まれ変わった今になって、記憶の悪夢にさらわれる度にうなされる。

 ただの夢だ。痛覚などありえない。

 一瞬の痛みだった。だが、それは覚悟していた以上に激烈だった。

「……助、け……て……」

 生きたかった。
 リーシェの側に、ずっといたかった。

 敵の手にかかった以上に、分かたれるはずのなかった二人の別離が、悔しかった。

 思い起こせば胸が引き裂かれんばかりの悲鳴を上げる。身体が粉々になって、どこからも消えてしまいそうになる。

 莢に潜むカイルの魂が朽ちるまで、これはつきまとうのか?

 胸が、どくどく、血の蠢く音を立てていた。

 甘い、甘い匂い。

 やけに濃厚だ。

 「莢っ!」

 幻覚が、凛としたソプラノに引き裂かれた。

 莢の意識が無理矢理夢から引き剥がされて、肩をがしりと掴まれた。

 「……このは……」

 瞼を開けると、胸の痛みはひいていた。

 莢は、一五年余り過ごしてきた自分の部屋にいた。

「っ……、……」

 莢は、このはに馬乗りにされていた。どうりで身体が重たいはずだ。

 早朝の朝陽が、カーテンの隙間から洩れていた。部屋の明かりは消えたままだ。

 逆光を背にしたこのはの表情は、よく見えない。

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