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青い桜は何を願う

第2章 出逢いは突然のハプニング


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 そこは一見、ごくごくありふれた夜の家並みだ。

 純和風の家屋の一軒、薄暗がりの軒先は、外部の明かりが土間までほんのりこぼれ込んでいた。街灯にしては黄みが強い。それがもう少し柔らかな色でさえあれば、ここは何の変哲もない、一軒家に見えていたろう。

 壮齢の女が靴箱の手前で背を屈めて、おいおいとしゃくりあげていた。
 伸びっぱなしの灰色の髪はうなじにまとめてこそあったが、何ヶ月も手入れされていないのが分かる。

 小さな紅葉が、女の粗末な割烹着の裾を握っていた。孫息子の左手だ。

 女の伴侶が、二人の側に立っていた。

 老いた男も、女と同じ、目に涙を浮かべていた。骨と皮だけに見えるその顔から、ぎょろりとした眼球が、今にもこぼれ落ちそうだ。

 老夫婦と孫息子の正面に、こざっぱりとした身なりの若い青年が立っていた。

「本当に有り難うございます、一条次成(いちじょうつぐなり)先生。貴方様はこんな、老いぼれた年寄りにはどうしようもなかった亡き娘夫婦の借財を肩代わりして下さったばかりか……こんな、贅沢な家までお与え下さった。おおぅ、年金ではとてもこの可愛い忘れ形見を立派に育てることも難しかったものですのに、一条先生は、この子の学校の面倒まで見て下さると……こんなに良くしていただいて……先生は私ども一家の神様であらせられます」

 女の骨ばった両の手が、ひしと次成の両手を握った。

 次成の神父の如く笑顔が、深みを帯びた。

「私は神ではありません」

 次成が、やんわり女の手を握り返す。

「貴方がたもお分かりの通り、通常、私達は神にはなれません。中には悪魔とて混じっています」

「……先生……」

「私達は神にはなれない。肝心な神の存在とて不確かだ。さすれば私達は、何を信じ、何を拠りどころとすべきでしょう?答えは簡単です。神の可能性を秘めたる存在、私達の救いとなる存在に、一日も早く近づけるよう、弱きを助け強きをくじかねばなりません」

「──……」

「私の言いたいことは、お分かりですね?」

 次成の手が、女のそれを優しく下ろす。それからその手が、小綺麗なカッターシャツの胸に移る。

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