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新‼経済・世相愚問放談

第43章 インドネシアと日本

『オランダ』
インドネシア人のほとんどが信仰しているイスラム教
を弾圧し、キリスト教を広めた。

『日本』
イスラム教を重視した。とりわけ、当時分裂していたイスラム教の団体を統合(マシュミ)、さらに初等教育や軍隊教育でもイスラム教を重視した。


『オランダ』
オランダは大がかりにインドネシア人との混血児を作り、それを間接統治の官吏とした。行政官は混血児と華僑に任せ、インドネシア人の政治参加、行政参加はほとんど禁止した。

『日本』
ジャワに中央参議院(最高諮問機関)、各地に州参議院を設置し、インドネシア人を積極的に高級官僚に登用、行政能力を培った。


『オランダ』
愚民政策をとり、教育は基本的に禁止。20世紀になって、世界の批判を受けて初等教育(3年間)だけは実施したが、学校に通えたのは僅か数%。さらに上級学校へ進学する者に対しては、オランダ語を強制した。大学卒業のインドネシア人は年に10人程度。

『日本』
6年間の初等教育を実施し、校庭も作り体育を重視。あわせてインドネシア人の教師養成のための師範学校も設置した。


『オランダ』
住民に武力反乱を起こさせないように青年の体育、団体訓練は禁止し、数人の行列行進さえも禁止した。

『日本』
100万人の青年団、150万人の警防団、婦人隊、学徒隊、隣組などを作りインドネシア住民の組織化を図り、インドネシア民族の団結心を涵養した。


『オランダ』
強制栽培制度=19世紀、耕地面積の5分の1はコーヒー茶などオランダ向けの生産物を強制的に栽培させた。このため、多くの村が崩壊し、食料自給体制は解体、餓死者が続出し平均寿命は35歳にまで低下した。が、オランダが得た利益は実に国家予算の3分の1を占めた。例えば、ジャワ・マドゥラ地方の人口の半分に当たる400万人が強制栽培に従事させられる。稲作の減少による米価の高騰を招き、1850年には強制栽培に凶作が重なり飢饉が起こり、ドゥマックの村は人口が33万6000人から12万にゴロボガン村では人口8万9500人が9000人に減少。

『日本』
農業、漁業、造船、工業、医学などの専門、訓練学校を設置し、僅か3年半で当時600人しかいなかった知識人(国家エリート)を最終的に10万人育成した。
(以上、日本会議様より引用)

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