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新‼経済・世相愚問放談

第3章 日韓併合は植民地統治ではありません

土地政策

朝鮮総督府は1910年(明治43年)から1919年(大正8年)の間に土地調査事業に基づき測量を行ない、土地の所有権を確定した。この際に申告された土地は、境界問題が発生しないかぎり地主の申告通りに所有権が認められた。申告がなされなかった土地や、国有地と認定された土地(所有権が判明しない山林は国有化され入会権を認める方法が採られた(火田民も参照)。そのほか隠田などの所有者不明の土地、旧朝鮮王朝の土地など)は最終的に朝鮮総督府に接収され、朝鮮の農民に安値で払い下げられ、一部は東洋拓殖や日本人農業者にも払い下げられた。ソウル大学教授李栄薫によると朝鮮総督府に接収された土地は全体の10%ほどとしている[19]。山本有造によれば総督府が最終的に接収した農地は全耕作地の3.26%であるとする[20]。この大規模な土地調査事業は戦後おこなわれた精密測量による地籍調査のようなものではなく、あくまで権利関係を確定させるためのものであったが多くの境界問題や入会権問題を生み、現代に続く「日帝による土地収奪」論を招いている。

総督府による測量および登記制度の導入を機に朝鮮では不動産の売買が法的に安定し[21]、前近代的でゆるやかな土地所有を否定された旧来の零細自作農民が小作農に零落し、小作料高騰から大量に離村した者もいるが、一方で李王朝時代の朝鮮は農地が荒廃しており、民衆は官吏や両班、高利貸によって責めたてられて収奪されていたため、日本が朝鮮の農地で水防工事や水利工事、金融組合や水利組合もつくったことで、朝鮮農民は安い金利で融資を受けることができるようになり、多大な利益を得るようになった朝鮮人も現れ[22]、これらの新興資本家の多くは総督府と良好な関係を保ち発展した
Wikiより抜粋

如何でしょうか?
日本は土地整備を行い、朝鮮農家に「安く」売ったと有ります

何処が土地を奪ったのかと?
まぁ、確かに両班からは奪った形に成るかも知れませんが・・・

そしてそして

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