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新‼経済・世相愚問放談

第3章 日韓併合は植民地統治ではありません

教育文化政策

日本統治下においては、日本内地に準じた学校教育制度が整備された。初代統監に就任した伊藤博文は、学校建設を改革の最優先課題とした。小学校るも統合直前には100校程度だったのが、1943年(昭和18年)には4271校にまで増加した

1911年(明治44年)、朝鮮総督府は第一次教育令を公布し、朝鮮語を必修科目としてハングルを学ぶことになり、朝鮮人の識字率は1910年(明治43年)の10%から1936年(昭和11年)には65%に上昇した。学校教育における教授言語が日本語であったことをもって、「言葉を奪った」という評価がなされることがある。これに対しては、朝鮮語が科目として導入されたこと、朝鮮語による文化活動が許容されていたことをもって、言葉が奪われたとはいえないという反論もある。また、ハングルは併合以前は漢字と比べて劣等文字として軽蔑されており、あまり普及していなかったというのも事実である wikiより抜粋

どうでしょうか?
識字率が低く、白丁などの奴隷階級はろくに初頭教育すら受けられなかった韓国に、日本は何と40倍の数の学校を作りました

しかも、言語を奪ったどころか、朝鮮語教育を施したのは日本で有り、更に漢字ハングル交じり文を初頭教育で教えておりました

如何に韓国人が出鱈目を言っているかわかります

しかも日本は韓国併合中、三陸沖大地震が発生した年度以外は、全て日本から赤字で税金を持ち出して、韓国に投入し続けました

「何処が‼」植民地統治で「何処が‼」侵略なのでしょうか?

更に併合前の韓国の様子

イザベラ・バード「朝鮮紀行」より

ソウルの町並みと悪臭

バードは本書の中で、1894年の訪問時のソウルに関して、道は牛がすれ違えないほど細く迷路のようであり、家から出た汚物によって悪臭が酷く、北京を見るまで「ソウルこそこの世で一番不潔な町」だとし、「紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだ」「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい」と記している[2]。また、人工の道や橋も少なく、「あっても夏には土埃が厚くて、冬にはぬかるみ、ならしてない場合はでこぼこの地面と、突き出た岩の上をわだちが通っている。道と言っても獣や人間の通行でどうやら識別可能な程度についた通路に過ぎない」と記している

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