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新‼経済・世相愚問放談

第36章 フリーアナウンサー『鈴木史朗』氏の体験談 中国引き揚げ

 私は船倉でじっとしていられず、よく甲板に出ましたが、吹きさらす雨風に打たれて見渡す限りの海を見ていると、子供ながらに「本当に日本に着くのか」と絶望感に苛(さいな)まれたものでした。

 しばらくしてようやく、佐世保に着きました。ちょうど桜の季節で、「こんなにもきれいな国があるのか。天国みたいだ」と思ったことを覚えています。中国は乾燥していて、黄砂で空も空気も黄色く濁っていますから、非常に対照的に思えたものです。

 一歳で祖国・日本を離れてから七年ぶりの帰国でした。

 『忘却のための記録』という本によれば、引揚者は三百十九万人。そのうち、私と同じように中国から引き揚げて来た人たちが五十万人。その他、軍人・軍属が三百十一万人いますから、計六百三十万人が戦後、壮絶な引き揚げを体験したのです。

〈この七十年を評価せよ〉

 なぜ、このような引き揚げの事実が戦後の日本でほとんど顧みられなかったのか。朝鮮半島からの引き揚げ体験を書いたヨーコ・カワシマ・ワトキンズさんの『竹林はるか遠く』がアメリカで発刊されると、在米韓国人らが猛反発して出版停止に追い込んだということもありました。

 朝鮮半島で日本人たちが暴行や強姦、略奪に遭っていたという、韓国人らにとっては「不都合な真実」が綴(つづ)られていたからでしょう。

 日本でも戦中の加害行為ばかりが取り沙汰され、一般市民である我々のような立場の人たちが一切合財(いっさいがっさい)、財産を没収されたことについて、中国への非難どころか、ほとんど話題にすら上らなかったのはどうしてでしょうか。

 中国や韓国の世論工作や「敗戦国である」との負い目から、日本政府自身が封印してしまったのかもしれません。しかし戦後七十年を迎え、引き揚げ経験者たちもこの世を去るか、残っていても高齢の方ばかりです。幼少期に引き揚げを経験した私たちの世代が辛うじて残っているくらいでしょう。

 私たちの財産を取り上げた中国が、いまも謝罪や賠償を求めてくるのはとても許せない。歴史の事実として、引き揚げ体験者がどのような目に遭ったのかを是非、多くの人に忘れないでいただきたいのです。

 戦後七十年、日本はよく頑張りました。世界の平和と安寧、繁栄のために力を尽くしたと思います。

 

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