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不透明な男

第11章 背徳


社長の部屋を出ると、途端に顔が冷たくなった。

血液が何処かへ行ってしまった様で、吐き気を覚えた。


智「う…」


覚束無い足取りでトイレに逃げる様に入ると、洗面台に倒れ込む様に手をついた。


社長は、俺の事を『あの子の変わりに』と言った。
あの子に瓜二つな俺を、なんの罪悪感も抱かずに変わりにしようと思っていたんだ。

社長が時折見せた寂しそうな顔。
懐かしむ様に遠くを見た瞳。

なんの曇りも無かった。

黒く目を光らせ、好物を思い描くかの様に俺を見た。


自分が何をやったか分かっていないんだ。

他人の気持ちなんてどうだっていい。

何も考えていないその目で見つめられるだけで、俺は恐怖に襲われる。

だって、もう既に膝の力は抜けてしまって立ち上がる事も出来なくなっている。


智「は、ぁ…」


なんとか呼吸を整えて持ち場に戻らなければ。

そう思っていても、俺の身体は言う事をきかなかった。


智「くそ…」


あの光景が思い出されて頭が痛い。

身体の震えが止まらない。

俺の瞼は、もう何も見るなと言うように、重くなっていくんだ。




B「…成瀬?おい、どうした。成瀬!」


泥の様に重く、地面に張り付いてしまったかの様に動かなくなってしまった俺が、ふわっと浮き上がった。

ふわふわと揺らされながらも、俺の瞼にはバチバチと光があたり、俺の目を眩ませる。

共に流れる映像は、瞼を閉じれば閉じる程に鮮明になり、俺の意識を奪っていった。




俺と社長の写真に写り込んだ一人の青年。

付き人を辞めて私の元を離れた、社長はそう言った。

今は何処で何をしているんだろうな、元気にしているといいが。そう言った。



元気にしている筈無いだろう

お前が一番よく分かってるじゃないか



少し揺らいだ瞳をすぐに戻し、懐かしむ様に遠くを見つめた。

その、社長の猟奇に俺は、ただ脅えただけだった。




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