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最後の恋

第4章 おでかけ


会社の福利厚生を利用して、彼はよく美術館のチケットを手に入れてきては、たびたび私を誘ってくれた。

普通の絵画の時もあれば、織物やカメラの展示などの時もあって、芸術に詳しくない私でも、単純に楽しめることが多かったので、彼には感謝している。

それでも、せっかくチケットをくれた彼には申し訳ないけれど、私は美術品を見ていた時間より、美術品を見ている彼を見ていた時間の方が長かった気がする。

美術館に行くと、これを作った芸術家の頭の中はどうなっているんだろう、と不思議に思う。

それと同じように、これを眺めている彼の頭の中はどうなっているんだろう、と無性に気になるのだった。

その優しげな目を通して見た世界はどんなふうなんだろう。何を感じているんだろう。私はどう映っているんだろう。

そんなことを考えていると、作品を見つめていた彼がおもむろに振り返って、目が合ったことがあった。

ずいぶん真剣に見ていたみたいだけど、何を考えていたの?と、美術館だから、声を潜めて彼は尋ねた。

あなたは何を考えてるんだろう、と思ってました、と、気づいたら馬鹿正直に答えていた。

彼は、下がり気味の目尻をもっと下げて笑ってくれた。そして、そっと私の手を握り、次のフロアへ連れていってくれた。

その後も、せっかくチケットあげたのに、そんなこと考えてたのか、と怒ることもなく、折に触れて誘ってくれた、優しい人だった。

彼の頭の中身を見てみたかったあのとき、私は彼に紛れもなく恋をしていたんだろう。

そして遠く離れた彼の目に何が映っているのか知りたくなる今も、これは恋心なんだろうと、年甲斐もなく自覚させられる。

彼も私の頭の中を、覗いてみたいと思ってくれていたんだろうと思うと、何だかくすぐったいような不思議な気持ちに包まれる。

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