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逢いたいから~恋とも呼べない恋の話~

第2章 揺れる心

 数日後、萌は携帯電話を握りしめ、今日これで何度目になるか判らない溜息をついていた。
 一体、幾度、祐一郎に電話しようとしたことだろうか。彼の携帯のナンバーは名刺にプリントされていたから、判っている。
 でも、萌は何度も電話しようとして、その度に手を止めた。今ももう一時間以上も前から、ずっと、そうやって携帯を握りしめたままだ。
―何を馬鹿げたことをしているの、私は。
 自分でも愚かだとしか言いようがない。
 たった一度しか逢ったことのない、しかも向こうは自分を忘れているに違いない相手のために、一人で悶々と思い悩んでいる。
 彼は既に萌のことなど思い出しもしないだろうのに、自分だけが彼を忘れられないでいる。それが何かとても滑稽で、自分が哀れにさえ思えた。
 その日もまた祐一郎のことばかり考えて過ごし、夕刻になった。小学校から帰った二人の娘たちを普段と変わらない笑顔で出迎え、いつもどおりに夕食の支度をする。
 今日のメニューは、子どもたちの大好きなデミグラスハンバーグだ。それに、これも子ども向けのポテトサラダにかぼちゃの冷製スープ。
 ひととおり下ごしらえを終えると、萌の意識は再び携帯電話に向かう。帰宅した子どもたちは宿題を済ませると、近くの学習塾に出かけていった。
「行ってきま~す」
 萬里と芽里が口々に叫びながら、騒々しく玄関を出てゆくのを聞きながら、何げなくリビングの時計を見る。
 午後五時。それから実に一時間余り悩んだ挙げ句、萌は、とうとう携帯電話のナンバーをプッシュし始めたというわけだ。
 後から考えても、自分がどうしてそこまで大胆になり切れたのかは判らない。使い古された陳腐な表現ではあるが、〝誘惑に負けた〟或いは〝魔が差した〟としか言いようがない。
 〇八〇―△△△―×××。萌は既に幾度も諳んじた祐一郎の携帯ナンバーを次々に押していった。
 しばらく間があった後、発信音が響いてきた。誰も出ない。
 どこかでホッとする自分がいた。もし祐一郎が出てきたとして、何をどう言えば良いのか。電話をかけた口実すら、萌は全く用意していなかったのだ。空しく鳴り響く発信音を聞きながら、萌の中で諦めがひろがってゆく。

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