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逢いたいから~恋とも呼べない恋の話~

第4章  闇に響く音

 夫は再び眠ったのかどうか、こちらに背を向け布団に埋もれていた。
 子ども部屋のある二階へと続く木の階段は、素足の脚許から冷気が這いのぼってくるようだ。
 子ども部屋のドアをそっと開けると、中にすべり込む。二段ベッドの下に姉娘が、上に妹娘が眠っている。
 小学六年の萬(ま)里(り)は、最近、随分と無口になった。つい去年くらいまでは毎日、学校であったあれこれをそれこそ機関銃のような速さで喋っていたものだった。
 まあ、我が子もそろそろ思春期に入ったということなのだろう。口数が減った他は、別にたいした変化は今のところないようだけれど、これからはもっと変わってくるものなのだろうか。
 萌自身には、こういった思春期特有の変化は殆どなかったに等しいので、今一つ判らないというのが本音である。元々、上背のある夫に似て背の高い萬里は、もうとっくに慎重百五十五センチの萌を追い越している。
 心も身体も、娘はこうして親を超えてゆく。母親としては娘の成長が嬉しいような、どこか淋しいような複雑な心境でもあった。
 それでも、眠っている顔は、まだ十二歳のあどけない子どものものだ。萌は萬里の額にかかった前髪に少し触れてみた。ムニャムニャと何か寝言らしきものを呟き、寝返りを打つ娘を見ていると、優しい気持ちになってくるのが不思議だ。
 この子が赤ちゃんの頃から、萌は一体、どれだけ、こうしてこの子の寝顔を見たことか。その度に、些細な失敗で沈んだ心をこの子が慰め、明日を生きるささやかな希望と勇気を与えてくれた。
 小さな梯子を上り、次に上のベットで眠る次女芽(め)里(り)の寝顔を眺める。三年生になっても、まだまだ低学年気分の抜けない末っ子は、良い意味でも悪い意味でも実に楽観的だ。どこか神経質なところのある萬里と比べ、この末娘は底抜けに明るく、およそ物事を突き止めて考えることのないタイプだ。良く言えば、大らかだし、反対に言えば、少々軽すぎる。
 従姉の性格を芽里だとするなら、萌はどちらかといえば、萬里の性格に近いだろう。子どもの頃から、二人で遊んでいて何か問題が起きたときも、いつも、あっけらかんとしているのは亜貴の方だった。
 いつだったか、祖父母の家で追いかけっこをしていて、祖父の大切な有田焼の壺を割ってしまった時、亜貴は泣きじゃくる萌ににっこりと笑ったものだ。

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