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君が桜のころ

第1章 雛祭り

凪子はゆっくりと身体を捻り、慎一郎の顔を見上げた。
そして、彫りの深い慎一郎の美しい顔をなぞるように指先を滑らせ、尋ねた。
「…あの離れに綾佳さんはお一人で住んでいらっしゃるの?」
途端に慎一郎の顔に物憂げな表情が浮かんだ。
「…ああ、そうです…。妹は母が亡くなった5年前からずっとあの離れに引き篭って暮らしています」
「綾佳さんは今、18歳でしたわよね。…学校はどうされたのですか?」
「…華族女学校は13の歳で中退しました。…元々、身体が弱く休みがちではあったのですが、母が生きている内はなんとか通えていたのですが…」
慎一郎は綾佳の話をする時の癖になっているため息を漏らしながら、カーテンを閉めた。
「母が亡くなってからはすっかり心を閉ざし、あの離れに閉じ篭ってしまいました。
綾佳が出られるのはこの母屋だけです。…ですから、食事だけは母屋のダイニングに来るよう命じているのです」
「…お勉強は?お辞めになったままですか?」
慎一郎は凪子の美しい黒髪を撫でながら、淡々と答える。
「母は亡くなる前に私と綾佳を枕元に呼び、学校に通えずとも勉強だけは続けるように約束させました。幸い、昔から綾佳が懐いていた母の友人が元女学校の教師だったので家庭教師に来て貰いました。
学校で習うこと全ては去年までに取得したようです。…ピアノも…母の遺言で習い続けることを約束したので、こちらは今もピアノ教師に出稽古に来て貰っています。
…しかし綾佳の狭い世界はそれだけで終始しています。…全くお恥ずかしい限りです」
嘆く慎一郎に凪子は首を振り、優しく答えた。
「いいえ、私はそうは思いませんわ。…綾佳さんは誰よりも繊細な硝子細工のようなお心を持っていらっしゃるだけですわ。とても利発なのはお話をしていてすぐに分かりましたし…何より、綾佳さんは穢れのない純白な美しさをお持ちです。…美は何より貴いものですわ」
慎一郎は自分が常日頃疎んじている妹を、凪子が絶賛するのが信じられないほどであったが、凪子が綾佳を気に入っていることに改めて安堵した。
そして慎一郎にとって憂鬱な綾佳の話題を終わらすべく、凪子の顎を優しく捉え、その薔薇の蕾のような唇を奪った。
「…凪子さん…」
凪子の唇は柔らかく解け、慎一郎を受け入れた。

狂おしいまでに甘く情熱的なくちづけが繰り返し交わされ、それが長く濃密な二人の初夜の始まりとなった。

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