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君が桜のころ

第1章 雛祭り

綾佳は自室の窓辺に佇み、母屋の二階を見上げていた。
兄の…正確には夫婦の寝室にランプの灯りが赤々と灯っているのが見えた。
…あそこにお義姉様がいらっしゃるのだわ…。
そう思うだけで綾佳の心は白湯を飲んだ後のように温かくなった。
綾佳は先ほどの出来事を反芻していた。
凪子の優しい言葉があまりに嬉しくて泣き出した綾佳に、凪子は黙ってずっと抱きしめてくれた。
凪子の胸は温かく柔らかくいい匂いがして…まるで綾佳を心から包み込むようだった。
最愛の母を亡くして以来、綾佳は初めて人の体温で安らぎを感じたのだ。
…お義姉様…。
綾佳は手に握りしめたハンカチをじっと見つめる。
凪子が綾佳の涙を拭いてくれて渡してくれたハンカチだ。
それは白いシルクのハンカチで美しいレースが縁取られていた。
綾佳はそっとハンカチに頬を押し当てる。
凪子のジャスミンのような芳しい香りがした。

白い綸子の寝間着の姿で、綾佳は褥に横たわる。
…お義姉様…。
そっと目を閉じる。
瞼の陰に、凪子の華やかで美しい笑顔が浮かんだ。

「また明日、お会いしましょうね」
心臓が高鳴り、甘くときめく。
…また明日、お義姉様にお会いできるのね…。
綾佳はその高揚感に酔いしれる。
…明日になればまた、あのお美しくてお優しいお義姉様にお会いできる…。
もう何年も綾佳は、明日になるのが待ち遠しいという気持ちを持てずにいた。
昨日までは毎日、明日が来なければ良いという諦めと孤独の気持ちで眠りに就いていた。
朝が来ても綾佳には何一つ楽しいことや幸せなことはなかったからだ。

しかし今夜は違う。
綾佳は早く朝になりますようにと神様に祈りながら、目を閉じた。
凪子のハンカチをお守りのように握りしめ、そっと唇に押し当てながら…。

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