君が桜のころ
第1章 雛祭り
夫婦の寝室となる二階の洋間の窓からは離れの建物がよく見えた。
凪子は窓辺に立ち、そっとゴブラン織りのカーテンを手繰り、離れを見つめる。
平屋建ての純日本家屋…明治初期に建てられたという古めかしい離れの窓に小さな灯りが灯っていた。
…あちらが綾佳さんのお部屋かしら…。
凪子は先ほどまで一緒にいた綾佳を思い出し、そっと笑みを浮かべた。
…本当に美しい少女だったわ。
まるで時代が止まったかのように世間から隔絶され、美しい檻の中で息づいているような少女…。
居間で一緒に食後のお茶を飲み、古い柱時計が9時を告げたのを機に、女中のまつが入浴の支度が整ったと知らせに来た。
「では綾佳さん、おやすみなさい」
と、綾佳の手を握った時、一瞬悲しそうに顔が曇り、凪子の手を離すまいとするかのようにぎゅっと指に力が込められた。
そしてそんな無作法な自分を恥じるかのように慌てて手を離し、俯いて小さな声で呟いた。
「…おやすみなさい、お義姉様…」
凪子は白く美しいしなやかな手を伸ばし、綾佳の頬に触れた。
「…また、明日お会いしましょうね」
その言葉を聞いた途端、綾佳はぱっと顔を上げ、子供のように嬉しそうに笑った。
…本当に可愛い人…。
凪子は思い出し笑いをする。
…と、背後から不意に腕が伸ばされ、凪子は男の胸に背中から柔らかく抱き込まれた。
「…何を見ているのですか?」
慎一郎は結婚した今も凪子に敬意を払った話し方をする。
凪子の莫大な持参金で、この没落しかけた名門九条家が救われたことに感謝しているのだろう。
凪子は今宵から夫となった高貴な京人形のような美貌をした男を見上げる。
多少神経質な容貌をしているが、非の打ち所がない美男子だ。
近くで見ると彫像のように端正な顔立ちをしていることが改めて判る。
慎一郎との縁談が整ったことを知った女友達らが凪子に一斉に羨望の眼差しを向けたことをふと思い出す。
「九条慎一郎様といえば、華族様きってのお美しい独身の殿方ですわ!
この間、夜会で拝見しましたけれど…それはもうお伽話の王子様のようにお美しくて…」
「ハンサムな上にインテリで、確か今は若くして帝大の教授をされていらっしゃるわよね」
「…さすが凪子様、色々浮名を流しつつ、結局一番良い方をお選びになるのね。ああ、憎らしいこと!」
婚約祝いのお茶会では賛美とやや嫉妬めいた祝辞を受けたものだ。
凪子は窓辺に立ち、そっとゴブラン織りのカーテンを手繰り、離れを見つめる。
平屋建ての純日本家屋…明治初期に建てられたという古めかしい離れの窓に小さな灯りが灯っていた。
…あちらが綾佳さんのお部屋かしら…。
凪子は先ほどまで一緒にいた綾佳を思い出し、そっと笑みを浮かべた。
…本当に美しい少女だったわ。
まるで時代が止まったかのように世間から隔絶され、美しい檻の中で息づいているような少女…。
居間で一緒に食後のお茶を飲み、古い柱時計が9時を告げたのを機に、女中のまつが入浴の支度が整ったと知らせに来た。
「では綾佳さん、おやすみなさい」
と、綾佳の手を握った時、一瞬悲しそうに顔が曇り、凪子の手を離すまいとするかのようにぎゅっと指に力が込められた。
そしてそんな無作法な自分を恥じるかのように慌てて手を離し、俯いて小さな声で呟いた。
「…おやすみなさい、お義姉様…」
凪子は白く美しいしなやかな手を伸ばし、綾佳の頬に触れた。
「…また、明日お会いしましょうね」
その言葉を聞いた途端、綾佳はぱっと顔を上げ、子供のように嬉しそうに笑った。
…本当に可愛い人…。
凪子は思い出し笑いをする。
…と、背後から不意に腕が伸ばされ、凪子は男の胸に背中から柔らかく抱き込まれた。
「…何を見ているのですか?」
慎一郎は結婚した今も凪子に敬意を払った話し方をする。
凪子の莫大な持参金で、この没落しかけた名門九条家が救われたことに感謝しているのだろう。
凪子は今宵から夫となった高貴な京人形のような美貌をした男を見上げる。
多少神経質な容貌をしているが、非の打ち所がない美男子だ。
近くで見ると彫像のように端正な顔立ちをしていることが改めて判る。
慎一郎との縁談が整ったことを知った女友達らが凪子に一斉に羨望の眼差しを向けたことをふと思い出す。
「九条慎一郎様といえば、華族様きってのお美しい独身の殿方ですわ!
この間、夜会で拝見しましたけれど…それはもうお伽話の王子様のようにお美しくて…」
「ハンサムな上にインテリで、確か今は若くして帝大の教授をされていらっしゃるわよね」
「…さすが凪子様、色々浮名を流しつつ、結局一番良い方をお選びになるのね。ああ、憎らしいこと!」
婚約祝いのお茶会では賛美とやや嫉妬めいた祝辞を受けたものだ。