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君が桜のころ

第2章 花影のひと

翌朝、朝食室に入った綾佳を見て、凪子はいつもと同じように優しく微笑みかけ、朝の挨拶をした。
「おはよう、綾佳さん。昨夜は良くお寝みになれたかしら?」
綾佳は凪子の美しく臈丈た面差しをじっと見つめる。
美しい黒髪をきちんと結い上げ、薄いクリーム色の上品なブラウスに深い薔薇色の長いスカート姿の凪子は非の打ち所がない若奥様姿だ。
…昨夜のことはまるでまやかしか夢のように思える。
「…はい。…よく眠れましたわ。お義姉様…」
小さな声で答えながら席に着く。
凪子はふんわりと柔らかく花が咲くように笑った。
「それは良かったわ。お披露目会のお疲れが出なくてなによりだわ」

慎一郎が現れ、美しい所作で席に着く。
凪子は慎一郎に挨拶をしながら、微笑みかける。
朝から美しくも艶やかな妻の姿を見て、慎一郎の冷たく整った輪郭が柔らかくなる、

それを見た綾佳が、不意に口を開く。
「…あの、私…昨夜、夢を見ました」
綾佳から話題を始めるのは珍しい。
慎一郎は意外そうな顔をして、綾佳を見た。
「どんな夢だ?」
綾佳は凪子の琥珀色の瞳を見つめながら答える。
「…お義姉様と…お兄様の夢ですわ」
「…ほう…。どんな夢なのだ?」
「…お義姉様とお兄様の間に赤ちゃんが生まれる夢です」

背後に控えていた乳母のスミがやや慌てたように声をかける。
朝食の席には相応しくない話題に、慎一郎が綾佳を叱責せぬかと案じたのだ。
「…あ、綾佳様…」
しかし、慎一郎は可笑しそうに一笑に付しただけであった。
「おおかた、コウノトリが赤ん坊を運んできた夢でも見たのだろう。…お前はまだまだ子供だ」
そして、家政婦の麻乃に朝食を始めるように指示を出す。

数人のメイドが静かに給仕を始める。
焼き立てのクロワッサンとバターの香りが漂い、幸福で平和な朝の風景に重なる。
綾佳は瞬きもせずに、凪子を見つめる。
…お義姉様は、お怒りなるだろうか…。

しかし、凪子はその琥珀色の魅惑的な瞳に妖艶な笑みを浮かべ、綾佳に笑いかけた。
そして、ゆっくりとナプキンを広げながら
「…本当に可愛らしい綾佳さんですこと。
…思わず食べてしまいたくなるわ…」
と、囁くような声で呟いたのだった。



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