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君が桜のころ

第2章 花影のひと

朝食の後、綾佳が音楽室のピアノに向かっていると、スミが慌ただしくノックをしながら入って来た。
スミはどこか切羽詰まった様子で綾佳に尋ねた。
「綾佳様、本当に清賀様のお屋敷に行かれるのでございますか?」
綾佳は楽譜を捲る手を止めて、スミを見る。
スミは日頃の陽気さはどこへ行ったのか…というほど、どこか怯えたような緊迫した表情をしている。
「…ええ。…お義姉様が付いて来て下さるし…お兄様のお勧めもあるから、思い切って伺ってみるわ」
いつもなら、綾佳が外出することに喜んでくれるスミなのに、今日は様子が違う。
スミは青ざめた表情のまま、綾佳に進言する。
「…綾佳様、お願いでございます。…清賀様のところに行かれるのは、考え直していただけませんか」
綾佳は美しい眉を寄せて、怪訝そうな顔をする。
「…スミ、貴女、この間のお披露目会からおかしいわ。…ねえ、清賀様と私は何か関係があるの?どうしてそんなに清賀様と私を会わせたくないの?」
スミはびくりと身体を強張らせ、首を振る。
「いいえ…いいえ、何も…何もございません」
「…でも…スミ…」
スミは綾佳の手を取り、押し戴くように額に当てる。
「…綾佳様、私の大切なお嬢様…。どうか何もお尋ねにならないで下さいませ。
…スミは…スミは…これ以上は何もお話できないのです」
「…スミ…」
スミは一礼すると、涙ぐみながら音楽室を後にした。

…スミがこんなにも何かに怯えるように清賀様のことを気にするなんて、おかしいわ…。
スミは清賀様のことを、何か知っているのかしら?
清賀様はお母様のことをご存知だったわ。
…と、言うことは…。
スミも清賀様と面識があるのかしら…。
でも…だからと言って、なぜ私と清賀様を会わせたくないのかしら…。

綾佳は溜息を吐いた。
…分からない…。

分からないと言えば…
お義姉様もだわ…。
お義姉様は私のことをどう思っていらっしゃるのかしら…。
私にキスしたり、愛撫してくださるのは…
あれは戯れなの?
揶揄っていらっしゃるだけ?
今朝は、清賀様のところに私が伺うことに賛成されていたし…。

綾佳は再び溜息を吐く。
…分からない…
お義姉様のお気持ちが分からない…。

綾佳はピアノの上に顔を伏せる。
…愛すれば愛するほど、分からなくなる…。
…それが愛…なのかしら…。
綾佳はゆっくりと長い睫毛を伏せた。

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