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君が桜のころ

第1章 雛祭り

凪子に一目惚れとも言うべき感情を抱いた慎一郎であったが、問題は凪子が自分との縁談を承諾してくれるか否かであった。
慎一郎は自分で認めるのもおこがましいと思いつつ、己の容姿と経歴には自信がない訳ではなかった。
輝くばかりの美貌の持ち主の慎一郎は社交界でも常に若い令嬢達の人気の的であったし、縁談も降るようにあった。

だが問題は、妹綾佳の存在であった。
18歳の引きこもりがちな妹がいると聞かされると難色を示す親が多かったのだ。
離れとはいえ、新婚早々の家庭に陰気な未婚の小姑がいるのは堪らないと考えるのは親心としては当然だろう。
「慎一郎様には皆様諸手を上げて、是非にと仰るのです。…ただ…妹様の綾佳様のことをお話しすると、なかなかに皆様難しいお顔をなさって…」
仲人口は毎回言いづらそうに告げてきた。
「…綾佳様はお美しいお嬢様ですし、大人しいご性格で決してお嫁にいらっしゃるお嬢様のお邪魔になるような方ではないと再三申し上げても…逆にそんなにも美しい妹様がおいでになると、娘が気がひけるなどと仰る方もおられまして…」
慎一郎は溜息を吐いた。
毎回綾佳の存在で縁談は破談になるのだ。

「…綾佳様をどちらか別荘などにお移りいただくことは叶いませんでしょうか?」
仲人口が遠慮勝ちに提案するのに慎一郎は即座に答えた。
「それは出来ない。…妹をこの家で面倒を見ることは亡き母との約束…。違える訳にはいかない」
「…そ、そうでございますよね。失礼いたしました…」
慌てて詫びる仲人口に、慎一郎は遣る瀬無い思いを抱いた。
「…母と約束したのだ…」

美しい母は5年前に流行病で呆気なく亡くなった。
母は慎一郎と一回り以上離れた妹の綾佳を眼の中に入れても痛くないほど可愛がっていた。
綾佳は生まれつき身体も丈夫ではなかったせいもあり、尚更大切にされ母の庇護の下真綿に包まれるようにして育てられてきた。
慎一郎は綾佳が生まれた時には既に15歳と自立した年頃だったので母の溺愛ぶりに、別段焼き餅を焼いた訳ではない。
しかし、美しい母が片時も離れずに綾佳を可愛がる様を些か冷ややかな視線で見ていたことは確かだ。
慎一郎は、生まれた時から九条家を背負う当主となるべく厳しく躾けられてきた。
甘やかされたことも一度もない。
…末っ子で女の子は気楽なものだ。
慎一郎の綾佳に対する感情は、この頃から冷めていたのだ。

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