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君が桜のころ

第1章 雛祭り

凪子は綾佳が、慎一郎と会話する自分をおずおずと遠慮勝ちに見ているのに気付いた。
「…綾佳さんはいかがかしら?洋食はお口に合ったかしら?」
にっこりと笑いかける。
綾佳はその瞬間、頬を薔薇色に染めて俯いた。
その弾みで、綾佳が手にしたフォークがかちりとやや派手な音を立てた。
慎一郎が切れ長な瞳で綾佳の無作法を咎めるように見遣る。
綾佳は兄の厳しい視線を受けて、華奢な身をぎゅっと縮めた。
そんな綾佳を察して、凪子は優しく声をかける。
「綾佳さんは食が細いと伺ったから、召し上がってくださるか心配だったのよ」
「…お義姉様…」
実の兄ですらそのように優しい言葉をかけてくれたことはない。
綾佳は感激の余り言葉にならなかった。
見兼ねた乳母のスミがそっと凪子に伝える。
「綾佳様がこんなにお食事をお召し上がりになったことは初めてでございます」
「まあ、嬉しい。良かったわ」
凪子は華やかな笑顔になり、綾佳の頬に手を伸ばし触れる。
「綾佳さんはまだまだ育ち盛りですもの。たくさん召し上がって健やかに育っていただかなくては」

凪子のしなやかな指が触れている頬が熱い。
綾佳は甘くときめく胸の鼓動に戸惑う。
「…あ、あの…お義姉様…」
お義姉様がお嫁に来てくださって嬉しい…と告げたかったのだが、緊張しすぎて言葉にならない。
もじもじする綾佳に慎一郎は、眉を顰める。
「綾佳、凪子さんが優しいからと言ってお手間を取らせたり、ご迷惑をお掛けしてはならない。お前はもう18なのだからな」
綾佳は俯いた。
綾佳の言葉はこうして胸の内へと仕舞われていくのだ。
その心のうちが分かっているかのように凪子が明るく冗談めかして綾佳を庇う。
「慎一郎さん、私はむしろ綾佳さんのお世話を焼きたいわ。こんなにお美しい義妹のお世話が出来るなんて幸せですもの。私の楽しみを奪わないでくださいな」
さすがの慎一郎もこの言葉には
「…凪子さん…、貴女は本当に優しい方だ…」
と苦笑するにとどめた。

自分が傷つかないようにさりげなく庇ってくれた凪子に綾佳は驚きの眼で見上げる。
…お義姉様はどうしてこんなに私に優しくしてくださるのだろう。
お兄様にすら疎まれる私を…。
綾佳は泣きそうになる自分を堪える。

凪子はそっと綾佳と眼を合わせ、微笑みながら頷いた。
震える白い手で持ち上げた珈琲のカップの中に一粒の嬉し涙が零れ落ちた。


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