君が桜のころ
第1章 雛祭り
母屋の長い渡り廊下を渡り、離れの綾佳の部屋に着いた凪子は暫し言葉を失った。
古い日本家屋のその一室はまるで明治の昔から時が止まったような部屋だったからだ。
几帳と屏風に囲まれた部屋は薄暗く、暖房器具は火鉢しかないので寒々しかった。
摺り硝子の窓の外の庭は枯山水庭園が広がっているが、春まだ浅いこの時期には花一つ咲いていない。
家具も年頃の娘らしいものは何一つなく、歴史的価値はあろうが古びた蒔絵の鏡台と文机がぽつんと置かれているだけだった。
…こんな部屋で幼い少女が5年間もたった1人で過ごしていたのね…。
凪子の胸はきゅっと締め付けられた。
綾佳を振り返る。
義姉を部屋に招いた緊張と興奮から綾佳の白磁のような頬は朱を刷いたように染まり、瞳は潤んで遠慮勝ちに凪子を見つめていた。
自分の部屋がいかに時代錯誤であるかも気づいている様子はない。
それもそうだろう。学校にも通わず、友達が1人もいないこの少女には比べる対象がないからだ。
凪子は優しく綾佳に話しかける。
「…とても風雅で素敵なお部屋ね」
綾佳は嬉しそうに眼を瞬かせた。
「…お母様が…」
蚊の鳴くような小さな声が聞こえた。
「ええ…」
「…お母様がお気に入りのお部屋だったのです。…だから綾佳もこのお部屋に…」
「…そう…」
凪子は微笑んだ。
亡き母の残り香と面影を抱きしめるようにこの部屋で生活していたのだろう…。
綾佳の健気さに凪子の胸は疼いた。
凪子は綾佳に近づくと、そっと抱きしめた。
綾佳のか細く華奢な身体が小さく震えた。
凪子は尚も強く抱きしめる。
綸子縮緬を着た綾佳の襟足からは薫きしめた古風な伽羅の香が漂った。
まるで平安時代の深窓の美しい姫君を腕に抱いているような錯覚に、凪子は甘く酔いしれた。
「…綾佳さん…偉かったわね…ずっと1人で…寂しかったでしょう…」
綾佳の震える声が響いた。
「…お義姉様…?」
凪子は綾佳の小さな顔を両手で覆い、じっと見つめる。
「…これからは私がいるわ。…綾佳さんの側にずっといるわ…」
綾佳の大きな黒目がちの美しい瞳が信じられないように見開かれた。
「…ほんとうに…?お義姉様…ずっと綾佳の側にいてくださるの?」
「…ええ。もう寂しくないわ。安心して…」
綾佳の唇が歪んだかと思うと、まるで子供のように声を放って泣き始めた。
凪子は何も言わずに綾佳を強く抱きしめたのだ。
古い日本家屋のその一室はまるで明治の昔から時が止まったような部屋だったからだ。
几帳と屏風に囲まれた部屋は薄暗く、暖房器具は火鉢しかないので寒々しかった。
摺り硝子の窓の外の庭は枯山水庭園が広がっているが、春まだ浅いこの時期には花一つ咲いていない。
家具も年頃の娘らしいものは何一つなく、歴史的価値はあろうが古びた蒔絵の鏡台と文机がぽつんと置かれているだけだった。
…こんな部屋で幼い少女が5年間もたった1人で過ごしていたのね…。
凪子の胸はきゅっと締め付けられた。
綾佳を振り返る。
義姉を部屋に招いた緊張と興奮から綾佳の白磁のような頬は朱を刷いたように染まり、瞳は潤んで遠慮勝ちに凪子を見つめていた。
自分の部屋がいかに時代錯誤であるかも気づいている様子はない。
それもそうだろう。学校にも通わず、友達が1人もいないこの少女には比べる対象がないからだ。
凪子は優しく綾佳に話しかける。
「…とても風雅で素敵なお部屋ね」
綾佳は嬉しそうに眼を瞬かせた。
「…お母様が…」
蚊の鳴くような小さな声が聞こえた。
「ええ…」
「…お母様がお気に入りのお部屋だったのです。…だから綾佳もこのお部屋に…」
「…そう…」
凪子は微笑んだ。
亡き母の残り香と面影を抱きしめるようにこの部屋で生活していたのだろう…。
綾佳の健気さに凪子の胸は疼いた。
凪子は綾佳に近づくと、そっと抱きしめた。
綾佳のか細く華奢な身体が小さく震えた。
凪子は尚も強く抱きしめる。
綸子縮緬を着た綾佳の襟足からは薫きしめた古風な伽羅の香が漂った。
まるで平安時代の深窓の美しい姫君を腕に抱いているような錯覚に、凪子は甘く酔いしれた。
「…綾佳さん…偉かったわね…ずっと1人で…寂しかったでしょう…」
綾佳の震える声が響いた。
「…お義姉様…?」
凪子は綾佳の小さな顔を両手で覆い、じっと見つめる。
「…これからは私がいるわ。…綾佳さんの側にずっといるわ…」
綾佳の大きな黒目がちの美しい瞳が信じられないように見開かれた。
「…ほんとうに…?お義姉様…ずっと綾佳の側にいてくださるの?」
「…ええ。もう寂しくないわ。安心して…」
綾佳の唇が歪んだかと思うと、まるで子供のように声を放って泣き始めた。
凪子は何も言わずに綾佳を強く抱きしめたのだ。