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君が桜のころ

第1章 雛祭り

暫くして凪子一人が部屋に戻ってきた。
「貴方が急に来て、綾佳さんに馴れ馴れしく触るから」
凪子は春翔を軽く睨んだ。
「ごめんごめん、まさかあんなに初心いとは思わなくてさ…で?綾佳ちゃん、どうした?」
春翔は姉の叱責にも全く気に留めず、ソファに優雅に腰掛けると、英国煙草に火を点けた。
凪子はそんな弟に美しい眉を顰めながら答える。
「暫くお側にいて差し上げたら大分落ち着かれたわ。でも、もうこちらに来るのは怖いと…。…綾佳さんは慎一郎さん以外の男性とお会いになったことはないのだから仕方のないことだわ」
「へえ!今まで一人も?じゃ、僕が初めての男?…痛っ!」
凪子は持っていた扇子で春翔を叩いた。
「下品な言い方をしたら許さないわよ。綾佳さんは純粋培養のデリケートなお花のような方なんですからね」
「ふうん…。今時そんな子がいるなんて、さすがお公家さんちは違うなあ」
そしてにやりと笑いながら、凪子に尋ねる。
「…でもさ凪子、随分楽しそうだね。名門公家の御台所様なんていくら旦那が美男子だって、凪子のことだから3日で飽きて出戻ってくるだろうって、友人と賭けをしていたのにさ」
凪子は朗らかに笑った。
そして、春翔の額を人差し指で突っつく。
「お生憎様。お友達には賭け金をお払いなさい。私は毎日とても楽しいわ。…慎一郎さんはお美しい上にお優しいし…綾佳さんはそれはそれは可愛らしいし…。私のことをお義姉様お義姉様って懐いてくださって…フフ…堪らないわ」
「ふうん…。僕は凪子が名門とはいえ没落寸前の家に嫁ぐ、て決めた時何て物好きなんだって思ったけどね」
凪子は立ち上がり、窓の外を見つめる。
…綾佳の部屋の窓は暗い。
まだ動揺しているのだろうか。かわいそうに…。

先ほど、綾佳は震えながら凪子にしがみついてきた。
「…お義姉様…ごめんなさい…お義姉様の弟様なのに…取り乱してしまってごめんなさい…」
凪子の胸は綾佳への庇護欲で一杯になる。
伽羅の薫りの囚われの姫君…。
男性に手を取られただけで震えるような穢れない処女…。
綾佳の全ては今や、凪子が握ってしているのだ。
震えるような歪んだ暗い悦楽が凪子を支配する。

「…私の結婚なんてどうせ名門貴族と縁戚関係になりたいお父様の駒の一つよ。どこに嫁ごうと相手は私の背後の巨万の富が目当て…私じゃない…」
凪子の瞳は、冷めた色を帯び遠くを見つめていた。

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