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君が桜のころ

第1章 雛祭り

慎一郎と凪子が欧州へ新婚旅行に旅立つ日がやってきた。
凪子の多くの衣装ケースが一之瀬家から手伝いにきた下僕の手によりメルセデスに運び込まれる中、女中達は華やかな荷物にはしゃぐ。
「欧州旅行に一か月だなんて…なんて贅沢なんでしょう!」
「…その費用も全て一之瀬家が出してくださったそうよ。…慎一郎様は女性だったら玉の輿に乗られたようなものね」
「慎一郎様は世が世なら皇子様ですもの。…それに絶世の美男子だし…。凪子様に見染められるはずよね」

家政婦の麻乃が口さがない女中達に睨みを効かせる。
女中達は慌てて奥に引き込もった。

ほどなくして、正装した慎一郎が現れた。
凪子と結婚してから最新流行のイタリー製のスーツを着るようになった慎一郎は、元々の美貌が更に冴え渡るように華やかになった。
通りすがりの女中がうっとりと溜息を吐く。
「留守中、大事無いようによろしく頼む」
慎一郎は麻乃に外套を着せかけてもらいながら声をかける。
「かしこまりました。どうぞご心配あらせられませんように、ご旅行をお楽しみくださいませ」
麻乃の隣でやや緊張した面持ちで控える綾佳の乳母のスミに、目を移す。
「…綾佳を頼む。…まあおとなしいのだけが取り柄の娘だから、さして心配はしてないが…」
身内にしては冷たい言葉にスミは深く頭を下げる。
慎一郎は眉を上げ、綾佳を探す。
「…また引き籠りか?」
スミは慌てて答える。
「い、いえ…。先ほど、奥様とご一緒に…あ!いらっしゃいました!」

慎一郎が振り返る。
廊下の奥から、真紅のタイトなワンピースにシルバーフォックスの毛皮を着た凪子と寄り添うようにして綾佳が現れた。
百合が描かれた若紫の綸子縮緬の着物姿の綾佳は真っ赤に目を泣き腫らしていた。
そんな綾佳を凪子がまるで恋人にするように抱擁し、髪を優しく撫でる。
「…泣かないで、綾佳さん。一か月はすぐよ。じきに帰りますからね。その間にドレスも出来上がるし、綾佳さんのお部屋も完成するわ」
「…お義姉様…」
綾佳の言葉は形にならず、はらはらと涙を陶器のように白い肌に零し続ける。
慎一郎は厳しい視線を綾佳に当てた。
「…晴れの門出に子供のように涙を見せるとは何事だ。お前は相変わらず、幼いままだな…」
諦めたように溜息を吐く兄に、綾佳は身を縮めた。
凪子が綾佳を庇う。
「慎一郎さん、綾佳さんはお気持ちが繊細なのですよ」

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