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君が桜のころ

第1章 雛祭り

春翔はタクシーから降りると、軽やかに九条家の重々しい玄関のベルを鳴らす。
ほどなくして中から厳めしい家政婦の麻乃が現れた。
春翔を見て少し驚いた顔をした麻乃にとびきりの笑顔を見せる。
「やあ!麻乃さん…だったよね?そのカメオのブローチ、素敵だね。よく似合うよ」
麻乃は褒められて、思わず乙女のように頬を赤らめる。
しかしすぐに威厳を取り戻すように、咳払いする。
「…春翔様、ご機嫌麗しゅうございますね。…ときに、今日は何の御用でいらっしゃいましたか?」
姉の凪子も留守の中、この家に立ち寄る用事などあったのであろうか?
麻乃は眉をきりりとあげる。
春翔はするりと玄関ホールに入りながら、辺りを見渡す。
「…綾佳ちゃんに逢いに来たんだけど…いる?」
「…綾佳…ちゃん…?」
じろりと春翔を見上げ、それ以上は一歩も通すまいと麻乃は前に立ちはだかる。
「綾佳お嬢様はこちらにはいらっしゃいません」
少しも気にせず、春翔はしなやかに麻乃を躱す。
「ああ、綾佳ちゃんは離れだっけ?…案内してくれる?…綾佳ちゃんに帝国ホテルのフランボワーズタルトを持ってきたから」
手にした名門ホテルのケーキの紙袋を見せる。
麻乃は益々、眉を釣り上げる。
「…恐れながら、綾佳お嬢様はどなたにもお会いになりません。申し訳ありませんがお引き取り…」
…と、そのとき大階段の上から明るい声が聞こえてきた。
「まあ、春翔坊っちゃま!どうされたのですか?」
凪子付きの侍女、皐月が春翔を見つけ目を丸くする。
春翔は朗らかな歓声をあげながら、大階段を駆け上がった。
「皐月!久しぶり!相変わらず綺麗だね!」
皐月は苦笑する。
「春翔坊っちゃまの人たらし」は一之瀬家では有名だったからだ。
しかし、凪子に良く似た美貌と屈託のない性格と天性の陽気さから、春翔は一之瀬家の使用人の中でも抜群に慕われていた末っ子御曹司であった。
麻乃の厳しい視線を上手くかわしながら、皐月は春翔を二階にいざなう。
「今日はどうされたのですか?凪子様はまだまだお戻りになられませんが…」
「知ってる。今日は綾佳ちゃんに逢いに来たんだ。取り次いでくれないかな?皐月」
きらきらと美しい瞳を輝かす春翔に、皐月は一瞬眼を奪われながらも、春翔の言葉にすぐ様首を振った。
「…いくら春翔様のお願いでも、それだけは無理ですわ。…綾佳お嬢様はどなたにもお会いにはなりません」

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