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君が桜のころ

第1章 雛祭り

ダイニングに入ると、大きく細長いテーブルの上座に兄、慎一郎が座っていた。
結婚式から帰宅した後とは言え、身嗜みの良い慎一郎は、きちんとディナージャケットを着て、趣味の良いネクタイを締めている。
シャンデリアの灯りに照らされたその美貌は近寄りがたい美しさであった。
慎一郎は凪子に手を取られて部屋に入って来た綾佳を見ると、やや驚いたようにその切れ長の眼を見開いた。
人見知りの激しい内気な綾佳が初めて会う義姉、凪子と二人でダイニングに現れるとは思ってもみなかったからだ。

この屋敷に帰るや否や、綾佳に会いに行くと言った凪子を止めたのは慎一郎であった。
「綾佳は出ては来ないでしょう。妹の人見知りと人嫌いには兄の私ですら手を焼いているほどです」
凪子はそんな慎一郎にその美貌にやや謎めいた笑みを浮かべ、そのまま綾佳の引き篭る離れに女中のまつとともに消えて行ったのだ。

「慎一郎さん、綾佳さんをお連れしました。…本当に、なんてお美しいお妹さんなのでしょう。以前拝見したお写真の何倍もお美しいわ」
凪子は綾佳の俯きがちな顔を愛おしげに見つめる。
美しい義姉に見つめられているせいか、綾佳はなかなか顔をあげようとしない。
そんな頑なさにも慎一郎はつい苛立ちを覚えてしまう。
「…式を終えたばかりでお疲れの貴女にお手数をおかけしてしまって申し訳ない。
…綾佳、凪子さんにご迷惑をお掛けしてはいないだろうな?」
綾佳は兄の厳しい言葉を受け、慌てて顔を上げ、何か言おうとしたが緊張の余り言葉にならなかった。
そんな綾佳の背中を凪子は優しく撫で、
「迷惑だなんて…。綾佳さんは素直にちゃんとこちらに来て下さいましたわ。…お義姉様とも呼んでくださったのですよ。ね、綾佳さん」
と、慎一郎をやんわりと制した。
綾佳はおずおずと顔を上げ、凪子を見つめる。
美しい義姉は厳しい兄の叱責から庇うように微笑んでいた。
「…はい、お義姉様…」
小さくはあるが、そう凪子を呼んだ綾佳に慎一郎はようやく満足し、綾佳に席に着くように促した。
綾佳はゆっくりといつもの自分の席に着いた。

慎一郎は綾佳に食事だけは必ず離れから出て来て母屋のダイニングで取るように命じて来た。
今までは兄と二人、会話もない冷たく寂しい食卓だった。
…だが、今夜からは凪子がいる。
そっと上げた視線の先には、凪子の慈愛に満ちた優しい微笑みがあった。


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