君が桜のころ
第1章 雛祭り
凪子は優しく綾佳を見つめると語りかけた。
「…綾佳さん。今日からお兄様の慎一郎さんのもとに嫁いで参りました一之瀬凪子です。…不束者ですが、どうかよろしくお願いしますね。私には兄弟しかいなくてね、綾佳さんのように美しくて可憐な妹が欲しかったの。今日は本当に嬉しいわ」
綾佳は驚きの余り、糊の効いたナプキンを握りしめた。
凪子との結婚が決まった日、この食卓で慎一郎は淡々と、しかし厳しい口調で綾香に説明した。
「…我が家は世間では名門公家などと評されているが、家計は火の車だ。道楽者のお父様が散々借金を作り上げ挙げ句の果てに早くに亡くなったからな。
…私の帝大での給料など雀の涙、先祖代々の土地を切り売りしてようやく生活出来ているのが内情だ。…日々離れに引き篭って呑気に暮らしているお前には分かるまいがな」
綾佳は身を縮めて俯く。
自分が如何に兄のお荷物なのかを今更ながら思い知らされる。
「…今回の結婚は我が九条家を没落の危機から救う願っても無い縁談なのだ。
お相手の一之瀬凪子さんは大銀行一之瀬銀行の頭取で会長の一之瀬彌太郎氏のお嬢さんだ。彼女の持参金で我が家の窮地を救ってもらえるのだ。一之瀬財閥は彌太郎氏が一代で築き上げた成り上がりの大富豪だがそんなことはどうでも良い。この家を救ってもらえることが重要なのだ。
…だから綾佳、お前は決して凪子さんのご機嫌を損ねるような真似をしてはならない。凪子さんがお前を疎ましく思ったりしたら、この結婚は破綻するかも知れないのだ。
良いな、凪子さんに気に入られるようにしなさい。それがお前に出来る唯一の仕事だ」
綾佳はその言葉を聞いて震え上がった。
…私の存在がこの家の行く末を左右する?
私がもし凪子さまに嫌われたら…この家はお終いになるの?
綾佳はがたがたと震えだした。
見兼ねた乳母のスミが綾佳を宥めに駆け付ける。
慎一郎はその様子を忌々しく見ながら
「…お母様が甘やかしすぎたからいつまで経っても赤ん坊のようなのだ。
いいな、綾佳。今の話を肝に命じて凪子さんにだけは嫌われないようにするのだ」
と、言い捨てると足早にダイニングを去って行った。
…その凪子様が…今、私の目の前で優しく微笑んでくださっている。
私のような妹が欲しかったと夢のようなことを仰ってくださっている。
綾佳の目の前が不意に霞み、気がつくとはらはらと透明の涙が溢れ落ちていた。
「…綾佳さん。今日からお兄様の慎一郎さんのもとに嫁いで参りました一之瀬凪子です。…不束者ですが、どうかよろしくお願いしますね。私には兄弟しかいなくてね、綾佳さんのように美しくて可憐な妹が欲しかったの。今日は本当に嬉しいわ」
綾佳は驚きの余り、糊の効いたナプキンを握りしめた。
凪子との結婚が決まった日、この食卓で慎一郎は淡々と、しかし厳しい口調で綾香に説明した。
「…我が家は世間では名門公家などと評されているが、家計は火の車だ。道楽者のお父様が散々借金を作り上げ挙げ句の果てに早くに亡くなったからな。
…私の帝大での給料など雀の涙、先祖代々の土地を切り売りしてようやく生活出来ているのが内情だ。…日々離れに引き篭って呑気に暮らしているお前には分かるまいがな」
綾佳は身を縮めて俯く。
自分が如何に兄のお荷物なのかを今更ながら思い知らされる。
「…今回の結婚は我が九条家を没落の危機から救う願っても無い縁談なのだ。
お相手の一之瀬凪子さんは大銀行一之瀬銀行の頭取で会長の一之瀬彌太郎氏のお嬢さんだ。彼女の持参金で我が家の窮地を救ってもらえるのだ。一之瀬財閥は彌太郎氏が一代で築き上げた成り上がりの大富豪だがそんなことはどうでも良い。この家を救ってもらえることが重要なのだ。
…だから綾佳、お前は決して凪子さんのご機嫌を損ねるような真似をしてはならない。凪子さんがお前を疎ましく思ったりしたら、この結婚は破綻するかも知れないのだ。
良いな、凪子さんに気に入られるようにしなさい。それがお前に出来る唯一の仕事だ」
綾佳はその言葉を聞いて震え上がった。
…私の存在がこの家の行く末を左右する?
私がもし凪子さまに嫌われたら…この家はお終いになるの?
綾佳はがたがたと震えだした。
見兼ねた乳母のスミが綾佳を宥めに駆け付ける。
慎一郎はその様子を忌々しく見ながら
「…お母様が甘やかしすぎたからいつまで経っても赤ん坊のようなのだ。
いいな、綾佳。今の話を肝に命じて凪子さんにだけは嫌われないようにするのだ」
と、言い捨てると足早にダイニングを去って行った。
…その凪子様が…今、私の目の前で優しく微笑んでくださっている。
私のような妹が欲しかったと夢のようなことを仰ってくださっている。
綾佳の目の前が不意に霞み、気がつくとはらはらと透明の涙が溢れ落ちていた。