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君が桜のころ

第1章 雛祭り

初春らしい清潔な光に溢れた晴天の日のことである。
綾佳は文机で読書をしながら、中庭の桃の花を眺めていた。
あと少しで桃の花も満開に咲き揃う。
そうすると雛祭りの時期になる。
綾佳の可憐な薄桃色をした唇に笑みが浮かぶ。
…お義姉様がお帰りになられる日も遠くはないわ。
綾佳は心の奥が明るく弾むのを感じた。

…と、その時。
若い女中が二人、主が留守の気楽さからか、お喋りをしながら廊下を行き交う様子が見えた。

「…でも一カ月もずっとご一緒にいらして、飽きないのかしら、慎一郎様も凪子様も」
「馬鹿ねえ。…慎一郎様は凪子様に夢中なのよ。凪子様だって慎一郎様とあんなに仲良しでいらっしゃるし…一カ月だって足りはしないわ。」
年長の女中がやや小馬鹿にしたように鼻で笑う。
「足りないってなにが?」
「…夜の営みよ。…新婚旅行は子づくり旅行でもあるんですからね。…まあ、あんなに色っぽいお嫁様だったら慎一郎もたいへんだわ。お身体がもちやしない」
「まあ、嫌らしい!そんなこと!」
「フフ…華族様だってなさることは私達庶民と一緒よ。…凪子様は社交界では恋多きご令嬢として有名だったそうだから…高潔な御曹司の慎一郎様は凪子様の手練手管にすっかり骨抜きにされていることでしょうね」

綾佳は女中達のあからさまな会話に固唾を飲んで身を固くしていた。
…お義姉様とお兄様の秘め事など聴きたくないのに…でもどこかで聴きたい自分がいる…。
綾佳は美しい凪子と慎一郎が愛し合う淫らな姿を想像するだけで、身体が熱くなり…それと同時に身体の奥深いところでいい様のない甘く痺れた疼きが湧き上がるのを止めることができなかった。

薄紅の京友禅の振り袖を着た身体を抱く様にして俯く綾佳を、廊下から通りかかったスミが目敏く見つける。
そして、お喋りな女中達を睨みつけた。
潔癖症な綾佳が兄夫婦の品のない噂話を耳にして落ち込んでいると思ったのだ。

「あなた達!綾佳様がいらっしゃるのですよ。はしたない話はおやめなさい。ましてや旦那様と奥様の邪推の噂話などもっての他です!」
女中達は蜘蛛の子を散らす様に逃げていった。
スミは女中達が去っていった方を憎々しげに見遣りながら呟いた。
「…全く!きょうびの若い女中には名門九条家にお仕えする矜持も持ち合わせていないのだから!」
そして、打って変って優しい表情を浮かべ、綾佳の前に座った。

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