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君が桜のころ

第1章 雛祭り

困ったように俯いている綾佳を、スミは愛しげに見つめる。
生まれた時からずっと片時も離れずに綾佳に仕えているスミには、綾佳が可愛くてならない。
こんなにも美しく生まれ、名門九条公爵家の令嬢として生を受けたのに、生母を多感な思春期に喪い、実の兄には厳しく冷たくあしらわれる綾佳が不憫でならないのだ。

だから兄嫁の凪子に綾佳が驚くほど懐き、慕うようになったことや、そんな綾佳を実の姉のように可愛がって大切にしてくれる凪子にどれだけ安堵したかわからない。
嫁入りしてくる凪子が綾佳に冷たく当たったら…とそれだけが心配でならなかったからだ。

スミは綾佳の気分を切り替えるように話しかける。
「綾佳様、母屋の綾佳様のお部屋に今、寝台が運び込まれていますよ。それはそれは素晴らしくご立派な寝台で…。ご一緒に見にいらっしゃいませんか?」
凪子が慎一郎に交渉し、母屋の部屋を改築し、綾佳に相応しい家具や洋装のドレスなども揃えてくれたのもスミには涙が出るほど嬉しいことだった。
この離れは由緒正しく歴史ある建物ではあるが、うら若い綾佳には侘しすぎてまるで世捨て人のようで…綾佳が自らここに引き込もったとは言え、スミには憐れでならなかった。
亡き母の豪奢だが時代が止まったかのような着物を着続ける綾佳に、洋装を誂えてくれた凪子にも心から感謝していた。
だから、日々綾佳の部屋が立派に作られ、最高級の家具が揃ってゆく様はスミにとって最大の喜びだった。

しかし、綾佳は恥ずかしそうに首を振り
「…いいえ。私、母屋のお部屋にはお義姉様がお帰りになってからご一緒に拝見するつもりなの。…だからスミ、先に見てきて?」
と答えた。
「…そうでございますか?…では、お先に見て参りますね。後でご報告いたしますからね」
と、いそいそと母屋に向ったのだ。

綾佳は嬉しそうなスミの様子を見られ、とても幸せな気持ちだった。
…スミにはいつも世話ばかり焼かせてしまっているから…喜んで貰えて良かったわ。
綾佳はそっと微笑み、小説の続きを読もうと本に目を落とした。

…と、その時だった。
中庭の月見台の方から、何やら密やかな声が聞こえたような気がした。
綾佳は不審に思いそっと立ち上がり、恐る恐る中庭に面した障子を開けた。


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