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君が桜のころ

第1章 雛祭り

「…凪子の恋人?」
綾佳に尋ねられて、一瞬春翔は何と答えていいのか戸惑ったような表情をした。
「…う〜ん…そうだね…」
珍しく歯切れの悪い返事に綾佳は不安になる。
「いたよ、恋人。フランス人の…すごくハンサムで優しくて紳士でさ。フランスでも指折りの名門貴族で…。僕はパブリックスクールに留学していた時に一度、会ったことがあるんだけどさ、お似合いの二人だったなあ…。相思相愛で」
…やはり…!
あの美しい西洋人はお義姉様の恋人だったんだわ…。
綾佳の胸はずきりと痛む。
「…それなのに、なぜお二人はお別れになったのでしょうか…」
春翔は首を振る。
「…それは僕も聞いていないんだ。凪子も何も言わない。…ただ、いきなり日本に帰国して、ぽつりと…彼とは別れたから…て」
「…そう…ですか…」
…お義姉様…。その恋人の方と何があったのかしら…。
アルバムに密かに隠された一枚の写真…。
今の凪子とは全く違う表情を見せる凪子…。
そこにどんな意味があるのか…。

「…綾佳ちゃんは凪子のことがそんなに気になるの?」
春翔に聞かれて、素直に頷く。
「…お義姉様のことはなんでも気になります。…お義姉様のことならなんでも知りたいのです」
いつも小さな声でおどおどと話す綾佳とは思えないほど、はっきりとした言葉だった。
「…だって…お義姉様は…」
新婚旅行に発つ別れ際、綾佳の唇にキスをした凪子…。
唇の感触が生々しく蘇り、綾佳の胸は甘く疼く。
綾佳は思わず、胸を両手で抑える。
「…お義姉様が…だいすきなのです…」
泣きそうな声…。
小さな肩が震えている。
春翔は綾佳への愛おしさが溢れてきて胸が鷲掴みになる。
…綾佳ちゃんは肉親の愛情に飢えているのかな…。

慎一郎の彫刻のように整った美しい顔を思い浮かべる。
あの晩餐の時、慎一郎の綾佳への感情やあしらいは側から見ていても、恐ろしく冷淡なものだった。
慎一郎は凪子に夢中だし、自分にも優しくしてくれている。だから尚更、綾佳への冷たさが浮き彫りになるのだ。
…綾佳ちゃんは初めて優しくして貰えた凪子を実の姉のように慕っているんだ。
そう思うと、やや過剰なまでの綾佳の凪子に対する思いも納得出来たのだ。
春翔は優しく声をかけた。

「…凪子は来週帰国するよ。うんと甘えなよ、綾佳ちゃん」
綾佳は潤んだ黒い瞳を上げて、薄桃色の唇を引き結び、小さく頷いた。



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