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君が桜のころ

第1章 雛祭り

玄関の車寄せには今、まさに黒光りするフォードが滑り込もうとしていた。
ほどなくして、一之瀬家の下僕が丁重に車のドアを開け、中から慎一郎と凪子が降り立った。
二人とも欧州で誂えたらしい洗練された最新流行の帽子やコート、靴を身に付けていた。
その美しく豪奢で華やかな様子に出迎えの使用人達の間からも羨望の溜息が漏れた。
二人は仲睦まじく、玄関に向かい歩き出す。
…と、春翔の隣に佇んでいた綾佳が凪子を見つけるや否や小さく叫びながら走り出した。
「…お義姉様!」
綾佳は、凪子に走り寄るとそのまま強く抱きついた。
普段の大人しく物静かな綾佳からは想像も出来ない大胆な行動であった。
春翔は眼を見張る。
麻乃やスミが驚きから呆気に取られる。
「お帰りなさい、お義姉様!」
まるで母親の帰りを待ちかねていた子供のように抱きつく綾佳に、凪子は優しい笑みを浮かべ強く抱き返した。
「ただいま帰りました。…綾佳さん、お元気そうで良かったわ。…よくお顔を見せて?…変わらずにお綺麗ね…まあ、やはり思った通りね。ドレスが良くお似合いだわ。それに、洋風の髪型も素敵よ」
凪子は綾佳の滑らかな頬を革の手袋の指をすべらせながら撫でる。
綾佳の瞳は次第に潤み、その瞳は凪子だけを映し出し、うっとりと輝いていた。
少し前を歩いていた慎一郎が立ち止まり振り返る。
そして形の良い眉を顰め、呆れた声で窘める。
「…綾佳、帰るなり何だ。お行儀が悪いぞ。まるで子供だな」
綾佳ははっと我に返り、俯いてしょんぼりする。
すかさず凪子が綾佳を抱きしめながら取りなす。
「…お叱りにならないで、慎一郎さん。私は嬉しいわ。綾佳さんのように熱烈歓迎して下さる方は他にいらっしゃらないもの。それに…ご覧になって。綾佳さんのお姿を。こんなにドレスがお似合いになる美しい方を私は拝見したことがありませんわ」
慎一郎に披露するように、綾佳の全身を見せる。
そう言われ、白い極上のドレス姿の綾佳を仕方なく眺めた慎一郎だったが、流石にその美しさと臈丈た華やかさには眼を奪われた。
…絹糸のような黒髪、滑らかな美しい額、優美な眉、長く濃い睫毛、黒目勝ちの大きな瞳、すんなり整った鼻筋、今が盛りの桃の花のような唇、白絹の肌、均整のとれたプロポーション…。
兄に見つめられ、はにかむ綾佳に慎一郎は独り言のように呟いた。
「…お母様に生き写しだな」

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