テキストサイズ

愛してるって言って!

第3章 【合縁奇縁】

『どうしても届かない』

「忍さん、もう少しですね」
夕方、マスターが銀行に出かけると、にこにこしながら千春が言った。
「何が?」
「何って…決まってるじゃないですか。蒔田さんの誕生日のお祝い。お店、もう決まってるんでしょ?」
「あぁ、うん」
妙に緊張してきたな。
日が暮れてくると、忍はそわそわして、どうしても時計に目がいってしまった。あと二時間もすれば、店を閉める時間になる。そうすれば、三十分も経たないうちに、静矢がきっと忍を迎えに来るだろう。今日は、静矢の誕生日だ。忍は先日、静矢には内緒で、ビール工房のレストランを予約しておいた。悩みに悩みぬいて選んだプレゼントも、カバンの中にしっかりと入れてきた。準備は万端だ。
千春は、クスッと笑って言った。
「ひょっとしてドキドキしてたりします?」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、忍を覗き込むように見るその顔を、少し憎たらしく思う。だがそれは、千春がここに慣れてきた証拠だとも思え、忍は嬉しくもなった。
「別に。っていうか、義理の兄の誕生日を祝うだけだよ」
そうだ、それだけの事。別に緊張するような事じゃない。自然な事だ。
「でも…好きな人じゃないですか?」
「千春、あのねぇ…!」
「あっ、いらっしゃいませ!」
その時、扉の開く音と共に、女性客が二人入って来た。
「まだ…やってますか?」
「はい!大丈夫ですよ!どうぞ」
千春が微笑んで言うと、女性達は、ホッとした様子で窓際の席へ座る。忍は、案内しながら客と話をする千春を見て思った。
千春、なんか最近…ちょっと変わったかも。
言葉で言い表すのは難しいが、千春を覆っていた黒い雲が晴れたような、少し明るくなったような、そんな感じだ。
「忍さん、ケーキセットツー、カモミール、ベリー、ホット、シフォンです」
「はーい」
このお客さん達が今日、最後かな。
忍は、またちらっと時計を見てから厨房へ入った。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ