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幕末へ飛べ!歴史を修正せよ

第4章 紀州和歌山へ飛べ!

大村小次郎の顔を見知っている者が数少ないのが、救いだった。
ただ、今から会う水野が、小次郎の幼少時代に会っている可能性がある。心配だ。
(ちなみに、小次郎の顔を見知っている他の人物として、一橋慶喜がいる。慶喜つまり七郎麿(しちろうま)と小次郎は、幼少時代に勉学を共にしている。貴人があまり外に出ない時代なので、大丈夫とは思うが…)

こうして自分佐助と小次郎ぎみは、連れだって歩きだした。
かろうじて紀州にたどり着いたふうを装い、着物を疲れた感じにし、しかしサムライらしく足取りは堂々と歩いた。

時に紀州は、3月。
紀三井寺には有名な梅林がある。そんなことを思い出しながら、ついに和歌山城下に入った。
コンパクトな城下町だ。55万石とは思えない簡素さとひなびた雰囲気。
まあこの時期、藩はどことも財政難で町も活気を失っている。

午後。今日この時刻、水野が屋敷に在宅していることは把握してある。
ただいきなり水野の屋敷を訪れては、ダメだ。
いくら大村小次郎が水野より血統が上でも、公式の身分は水野は譜代大名並みの家老、小次郎は旗本の部屋住み(当主を継いでいない嫡男も含む。小次郎は父親を亡くした直後に江戸を脱出しているので、当主を継いでいない。大村家自体が取り潰しになっているはずだが)でしかない。

水野の屋敷から数百メートルのところに番所。
そこに入って下役に、江戸より卿さまご到着の伝言(やむなく一筆添えた。くずし字は当時の同じ場面のものをそのまま真似た)と下役に告げ、水野の屋敷に先触れとして行かせた。
身分証明として徳川葵の紋入りの裃(かみしも。例の箱に入っていた)を一筆に同封した。

さて、水野左京大夫の反応は?
幕府譜代支持であることは、確か。
ただかなりの野心家、悪い評判も聞く。

タイムトンネル調査班の報告を、まんじりともせず待つ。
やがて頭の上にタイムトンネルの窓が開いた。「佐助さん、上々です」
ほっとした。
水野は一筆と葵紋の裃を見て
「ほお~、卿さまが無事ご到着あそばされた」
と感嘆したという。
ただ安心はできない。引き続き水野の監視をしてもらった。

やがて、水野の屋敷から人が来た。案内人の武士、である。
「水野左京大夫家の牧野と申す。卿さまを案内(あない)致す」

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