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幕末へ飛べ!歴史を修正せよ

第3章 取り急ぎ準備

年号の再確認を、タイムトンネルを江戸幕府の暦の記録所である天文方に開通させて、おこなった。

安政2年は、西暦1855年である。
そして西暦と旧暦には、1ヵ月の開きがある。

使う言葉も、細心の注意が必要だ。
当時は、幕府、藩とは言わない。ご公儀(こうぎ)、何々ご家中(かちゅう)とか、言わないといけない。徳川一族同士なら、将軍家のことを宗家(そうけ)と呼んでもよい。

人の年齢は、数え年でいう。数え年とは、人生何年目という意味。
1820年生まれは、この1855年に35才でなく、36才(人生36年目)である。

当時の服装、正式にはいろいろあるが、大村小次郎は刺客に襲われ身一つで紀州に現れたという設定でいくので、紀州徳川家(水野左京大夫)が整えてくれるだろう。

話し言葉が、難しい。
小次郎ぎみは饒舌な人で、実はかなり心配だった。
出来るだけ言葉少なに、できれば漢語(漢字の単語)をぽつりと呟いて会話をさせたい。
自分が従者としてもちろんついていくが、従者は、よくて次の間(奥座敷の手前の部屋)控え、普通は土間控えか別室控えだ。
不安がこみ上げてくる。

そして、決行の日が来た。

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