ほんとのうた(仮題)
第1章 孤独(ひとり)と逃避(ひとり)
※ ※
「ううっ……なんか、冷えるな」
季節は既に初夏であるにも拘わらず、この真夜中に吹き荒ぶ冷たい風は、衰え始めた中年の身体へと容赦なく突き刺さってくる。
住宅街の静かで暗い道を進みながら、俺は半そでの細腕を軽く擦った。寒く感じてしまうのは、なにもこの夜の気候による処ばかりではない。
亜樹に部屋を追い出され――俺は仕方なく一人、自分のアパートへ向かいトボトボと歩いていた。
「もう、来ないでね」
それは、ほんの十分前に俺が亜樹から言われた言葉。顔がにこやかだったから余計に、突き放された実感は強烈なものとなった。
ある程度は予想されたことだから、その意味ではあまりショックでもないような気もする。が、それはやはり強がりなのか……。
会社を辞めて、次の職の当すらない――今現在の俺。
すなわち、そんな自身を端的に言い表すとしたら――新井裕司(あらい ゆうじ)40歳・無職――という感じになる、わけで。
「まあ……仕方ねーよな」
それを胸にした時、そう言って苦笑を浮かべるのが精一杯だった。
会社を辞めるに至るまでには、もちろんそれなりの事情はある。俺が亜樹に話したかったのは実はその部分ではあったのだけど、彼女はそれに聞く耳を持たなかった。
職を自ら失っておきながら、この先の食い扶持(ぶち)すら当てのない中年男。そんな俺のことを、彼女は気持ちいいくらいにあっさりと見限ったのである。
だが、それで亜樹を責める気にはならなかった。それについては、さっきも言った通りだろう。彼女の若さとある意味の奔放さを、俺が都合良く感じていたことは否めない。
寧ろ無職となった俺を突き放した彼女の方が、その点では誠実であるのかもしれない。もしかしたら、俺との将来を考えていたからこそ……。
いや、それはないか……。
その辺りを亜樹がどう考えていたのか、最後までよくわからなかったが。ともかく、これで俺たちの関係も終わってしまったのだ。