触って、七瀬。ー青い冬ー
第7章 二人の記憶
高梨がスタッフからマイクを受け取った。
「こんばんは、伊織です」
高梨が挨拶をすると、ホールの電気が少しずつ暗くなる。ざわめきも収まり、視線は高梨に集中していた。
「伊織〜!」
「伊織くーん!」
女性客の声がステージに投げかけられる。
高梨は有名人だ。
「お越しいただきありがとうございます。
本日、まだ指名は頂いていなかったのですが、私のアシスタントが新しく入ることになりましたのでこの場を借りて、
紹介させて頂きます」
スポットライトが僕に当たった。
高梨が僕の肩に手を回した。
「夕紀です。よろしくお願いします」
拍手が沸き起こった。
こんな僕に、たくさんの拍手が送られるなんて、この先もずっとないと思っていた。
お客さんはみんな笑顔でこっちを見ていた。
「なんか一言」
高梨が僕にマイクを渡した。
「えっと…」
僕はこんな大勢の前で話したことがない。
多分300人程の視線が僕に集まっている。
僕はだんだん涙目になった。
緊張すると自然とそうなってしまう、いつもの悪い癖みたいなもので。
「初めてこんなステージに立って…
すごく、緊張してるんですが…」
高梨が僕の肩をぽんと叩いた。
「頑張ります!
よろしくお願いしみゃっ」
どっと笑いが起きた。
あー、なんでこのタイミングで噛むかなぁ…!もう死にたい…
恥ずかしさがピークに達して帰りたいと思ったが、高梨がマイクを取った。
「えー、こんな感じのドジですが」
観客がまた笑う。
「ドジじゃない」
笑い者にされたのでふてくされていると、
高梨は僕を見て、ふっと笑った。
「かわいい奴なんで、どうぞよろしくお願いします」
わーっと歓声が上がって、僕達は拍手に包まれた。
可愛いって言えばいいとおもってるだろ!
「ほら、ショータイム」
僕は高梨に背を押されて、ステージの中央に用意されていたピアノに座った。
ピアノには《IORI》と刻んである。
「僕、何も練習してないよ」
「好きに弾いたら?好きな曲を」
高梨はそう言った。
僕はそう言われて、思いつく曲はたった一つだった。