触って、七瀬。ー青い冬ー
第8章 初夜の残像
優しい笑顔。
今までも何度も見てきたその笑顔。
でも、その表情はとても穏やかで、
春の日差しを浴びているような、暖かさだった。
「無駄じゃなかったんですね」
僕が言うと、翔太さんは目を閉じて言った。
「無駄じゃなかった。
苦しいことも辛いことも、無駄なことなんか一つもなかった。それは自分のためかもしれないし、他人のためかもしれないけど」
翔太さんの長い睫毛が揺れた。
「夕紀が経験した辛いことも苦しいことも、これからする全部の経験も、絶対無駄にならないよ。それは保証できる。
夕紀の全部は、意味があって、その積み重ねが今の夕紀だから。
どんな一瞬も、大事な思い出になるよ」
翔太さんは言った。
僕には、なんでそんなことを翔太さんが言ったのかわからなかった。
でも、その言葉を聞いて、少し心が軽くなった。
どんな瞬間も無駄じゃない。
叶わない恋をしていても、
届かないもののために足掻いていても、
それが全部無駄で、虚しいことに思えても、
無駄なんかじゃない。
翔太さんは眠ってるみたいに、目を閉じたままだった。
僕はそっと翔太さんの唇にキスをした。
感謝の気持ちを込めて。
翔太さんは笑った。
「俺、まだわかんないよ」
翔太さんがそう言ったので、
僕はもう一度キスをした。
「僕は違うって言ったじゃないですか」
「好きになるって、そんな簡単じゃないんだよ。七瀬君」
翔太さんの茶色い髪は柔らかくて、さらさらと流れて、でも少し癖があった。
「…僕は恋愛感情なんていらないから、
翔太さんにあげたい」
僕は広いベッドに体を押し付けた。
柔らかくてふわふわ。
「そしたら夕紀は俺のこと好きじゃなくなる?」
翔太さんは起き上がった。
「…そうですね。今だって、ちゃんと好きかは僕もわかってないですし」
翔太さんは僕に覆いかぶさって、僕の唇に深く唇を合わせた。
やっぱり熱かった。
翔太さんに愛がなくても、キスには熱があった。
「俺のこと好きになった?」
悔しいけど、翔太さんはキスが上手いし、
そう言って僕を見る表情には色気しかない。
「…ちょっとだけ」
翔太さんが僕の額にキスをした。
僕は唇を噛んだ。
……