触って、七瀬。ー青い冬ー
第11章 薔薇の蜜
「えー、じゃあここから音読、岩崎」
「近代の資本主義社会において、
貨幣は…」
どーでもいい。
資本主義万歳だ
隣から寝息が聞こえる。
「はい、じゃあ始めましょうか。
ディミニッシュコードの基本からー」
音楽の授業はいらない。
全部知ってる。
それよりピアノが弾きたい。
人差し指で机の上を叩いた。
隣でも同じように、とんとん音がした。
「Σの後ろには数列の一般項、下と上には数列の第何項から何項までの和かを示すものを書き入れれば数列の和を表すことができー」
数学は割と好きだが、教師が下手でみんな寝てしまっている。
「この数列の漸化式はCをつかって変形したら、この部分をbnとおいて…」
俺も寝ようかと思ったが…
今日は寝てる場合じゃなかった。
窓の外を見ているその横顔は、誰を思い出しているのだろう。
「はい、整列ー」
…唯一の楽しみ、体育も今日はマット運動とかいう地味なものだった。
いつもは自由に球技をする時間で、バスケを練習できたのに。
でも、悪くない。
…と思ったが、少し気まずい。
「…やるか」
「うん」
七瀬は床に座り、足を開いた。
体操着姿なんて、この先もう見ることはないんだろう。
そう思うと、少し不釣り合いなその長いジャージさえ懐かしいような気がする。
七瀬の背を軽く押し、上体を寝かせる。
「…柔らかいな」
七瀬は胸を完全に床につけられる。
「…交代」
七瀬は素っ気なく言った。
1週間ぶりに会った七瀬は、別人みたいだった。
というか、2ヶ月前に戻った。
目も合わさないし、声は小さいし、
返事は一言だし、自分から話そうとしないし…何でかは、俺がよく分かってる。
「痛い痛い」
七瀬が俺の背を押す。
膝の裏の筋が切れそうだった。
肘さえ床につかない。
「…ぷ」
後ろで小さい笑い声がしたのは、
気のせいじゃないはず。
「倒立の練習ー」
先生が言って、俺は手をマットに着くと倒立をして見せた。
これくらいならなんなくできる。
隣を見ると、七瀬が床に手をついて足を振り上げては、上手くできずに足をついていた。
「下手くそ」
さっきの仕返し。
「…わかってるよ」
七瀬は素っ気なく言った。