触って、七瀬。ー青い冬ー
第20章 歪形の愛執
深くかぶった黒いキャップ
大きくてずり下がるサングラス
不釣り合いな高級ブランドの青いスニーカー
グレーのワイドパンツに
ネオンイエローの薄い布ベルト
袖の広くしわのないワイシャツ
からんと鈴が鳴らす扉を開ける
「桃屋さん」
この名前を呼ぶのももう慣れてしまって
嫌なくらい
「おかえりなさい。今日もご苦労様でした」
桃屋は家の外ではほんの少しだけ口調が砕ける
でも他の人にはもっとチャラチャラしたふつうの大学生らしく振舞うのに
僕に対してはいつも《旦那様》モードで変な感じ
…というより気持ち悪い
「なんで僕にだけ敬語のままなんですか」
「それは、気持ち悪いからです」
「え?」
気持ち悪い、に気持ち悪いが返ってきた
「ずっと使用人の顔しか見せてこなかった相手に素性を晒すのは気持ちが悪いでしょう。
…そんなことより、今日の案件は大変良い報酬になるそうですよ。嬉しい限りです」
案件、とは今日の雑誌の撮影のことだ
ここは薄暗いビルの地下で、螢光出版社のオフィスだ。社長、という人が一応あるらしいがなかなかタイミングが合わずしっかり話せたことはない。
桃屋曰く、いいおじさん、らしい。
「そのいい報酬を受け取るのは僕じゃなく
案件を取ってきた桃屋さんでしょ?
で、余りは他の社員さんに回って、
僕にはその残り屑…」
本当に、ただ写真を撮られているだけで特に働いてる気持ちもしないが
それにしてももう少しご褒美をもらえてもいいはずだ。
「良いではありませんか、婚約相手に頼めば今回頂く給与の全額合わせても足りないくらいのお小遣いがあなたに入るんですから。」
「ていうか、そもそも僕は《情報屋》になるんじゃなかったんですか?情報を集めてくるような、
記者みたいなものに」
「確かにその方向で働いてもらうことも考えました。
しかし今のモデル業の方が確実に良い成果を出せていますし、雑誌の売れ行きも好調です。
逆に、変に情報収集をしようとして不祥事でも起こしたら、モデルとしてのあなたのイメージが悪くなります。そうなるならやはり、今のまま単純にモデル業に専念していただいた方が」
「稼げる、っていうことですね」
そう、結局どんな方法であれ
僕が稼いでお金を産むならそれで桃屋は満足なのだ
。