a faint
第2章 white-night obsession
white-night
幾重にも下がった迷路みたいな天幕を掻い潜(くぐ)り 後もう少しで彼女に手が届く…と云うトコロで 漂う匂いに 鼻が敏感に反応した。
奥から此処までに 残り香を置いていける人間は この界隈にそんなには存在しない。
敢えてそいつ等を挙げるとすれば『女衒屋』と『エニグマ』の二人だけだろ。
通い慣れた俺ですら 半刻もこの場に居座れば 絶妙なタイミングで警告のバイブが スマホを震えさせるだから。
兎も角 その柑橘と薄荷の混ざった香りを 手で振り払いながら ベールのような天幕を捲れば 猫足のカウチの上で腹ばいになったドールが一人。
長煙管を咥える口唇、物憂げに細められた眼、スカートの裾から投げ出された脚は パタパタと上下している。
無残に刈り取られ髪が ようやく伸び 整えてやったばかりの毛先に指を遣れば 擽(くすぐ)ったげな顔と視線が 此方を向いた。
”……潤”
吐息が呼んだと同時に 背後に感じるのはどす黒い嫌なオーラ。
振り返る間もなく 項にチクと刺さったのは 察するにアイスピックだろう。
今の今まで 何食わぬ顔で止まり木に座っていたから バーテンダーの目を盗んで くすねてきたに違いない。
そのまま 大人しくギムレットでも飲んでればいいものを。
ドールの顎にそっと手を添え 上向いた口唇に 此れ見よがしに口付けただけで 真後ろのオーラが絶対零度にまで低下するのが可笑しすぎる、単純。
吹き出したくなるのをどうにか堪(こら)え hold-upすると見せかけ 振り返るのと同時に 立てた人差し指を 女衒屋の喉仏に押し当てた。
”……BANG”
束の間の逢瀬を邪魔を邪魔するな。
「カズの負け」
好物のマカロンを摘もうとした指が その寸前で止まり こっちへ手が伸ばされた。
今宵のエスコートは俺。
床に転がっていたハイヒールに爪先を突っ込みながら ツンとそっぽを向くのは どうやら女衒屋への当てつけらしい。
ヤツを袖にするのなんて オマエくらいなもんだよ。
差し出された手を恭しく掲げ 腰に腕を回し 引き寄せられるのは エスコートする者の特権。
耳の横を掠(かす)めて飛んでったアイスピックが 天幕を破いて落ち それを靴の先で蹴っ飛ばせば ジュモーが後ろ向きに あかんべーをする。
飽きもせず 日々繰り返される攻防。