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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第6章 祝言の夜

 ゆっくりと振り返った春泉の眼の前に、一人の若い男が佇んでいる。
 今宵から、春泉の良人になる皇(ファン)秀(ス)龍(ロン)だ。良人、その言葉に、春泉は思わず苦笑めいた笑いを滲ませる。まさか我が身が良人を持つ身になるとは想像だにしなかった。
 自分はずっと、あの町外れの小さな屋敷で母と二人、ひっそりと暮らし、やがて生涯を終えるのだと考えていた。だから、あの日、突如として飛び込んできた知らせを受け取った時、歓びよりも戸惑いや衝撃の方が大きかったというのが正直なところだ。
 二年前、皇家との縁組を誰より熱心に望んでいたのが父千福であった。秀龍の父才偉(ジェウェ)は当時、礼(イエ)曹(ジヨ)判(パン)書(ソ)を務めており、国王(チユサン)殿下(チヨナー)の信任も厚い忠臣と謳われ、他の多くの両班と違って、無闇に権力を笠に着るようなこともなく、穏やかな人柄は若い官僚たちからも慕われていた。
 不正を嫌うその才偉と父のような悪徳商人がどのようにして結びついたのかは判らないが、大方、その奥方―つまり秀龍の母の方が千福にとっては、近づきやすいというか、与しやすかったのだろう。
 皇家の夫人芙蓉は名前とは正反対の、たおやかな花どころか、とんでもない計算高い女人であった。千福は芙蓉に巧みに取り入り、娘春泉と皇家の嫡子秀龍との縁組を纏めようと躍起になっている最中、殺害されたのである。
 この縁談には、春泉の母チェギョンも大いに乗り気であったことから、とんとん拍子に進んだ。柳氏夫妻は両班の中でも名門中の名門といわれる皇氏と強い繋がりを欲していたし、また、皇家の夫人は都でも随一の富豪柳千福の財力のおこぼれに預かりたがっていた。
 しかし、千福の突然の死によって、この縁談は一旦、沙汰止みになった。いや、向こうの皇氏は、〝この縁組は千福どのの喪が明けるまで、ひとまず延期しましょう〟と言ってよこしたのだが、つまるところは、〝ひとまず〟ではなく〝無期延期〟を示していた。
 当然であったろう。皇家が求めていたのは柳家の金蔵であって、それ以外の何ものでもない。当主たる千福が亡くなった今、何の力も持たない未亡人とその娘に用はないはずだ。

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