テキストサイズ

淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第6章 祝言の夜

 が、母の反応は、そのどちらでもなかった。
 何か言おうと口を開きかけ、わずかな逡巡を見せてから、〝春泉、私は―〟、ただひと言だけ言った。
 あの後に、母は一体、何を言いたかったのだろうか。春泉はその続きを聞くのが怖いようでもあり、裏腹に聞きたいような気もした。
 もしかしたら、自分たち母娘はまだ、間に合うのかもしれない。一抹の希望がその時、確かに彼女の胸に生まれた。
 最後まで解り合えずに逝ってしまった父との関係は不毛なものだった。生前の父は春泉を可愛がってくれたし、春泉もまた、隔てを置こうとする母よりも父の方に親しみを抱(いだ)いていた。
 それでも、結局のところ、春泉は娘として父が何を考えているかすら知らず、父はこの世からいなくなった。もう二度と、こんな哀しい想いは繰り返したくない。
 父の死によって、春泉は人生のめぐり逢いの後には、必ず別離がやって来るものだと嫌というほど思い知らされたのだ。
 母チェギョンはまだ三十七歳の若さではあるけれど、母と自分との間の時間は無限ではない。
 母との関係が修復可能かもしれないと思いかけたこのときになって、母の傍を離れるのは後ろ髪を引かれる想いではあったが、嫁いだとしても、実家に母を訪ねることはできる。
 それでなくても一人暮らしになってしまう母をずっと孤独のままにしておくことなど、できるはずもなかった。
 むろん、これまで仕えていた執事は変わらず勤めるが、女の一人住まいに男の使用人一人という外聞をはばかってか、母は新たに若い女中を一人雇い入れることに決めたらしい。
 もとより、三十代後半の執事には既に女房や子どももいて、自宅から通いでやってくるわけで、夜には自分の家に帰る。それでも、世間は何を噂するやら知れたものではない。まだ十分に女盛りの色香を放つ未亡人と壮年の執事の関係を興味本位であれこれと憶測されては堪らないといったところらしい。
 こんなところも、今までの母とは全く違っていた。何しろ、父に内緒で外に若い愛人を囲っていたどころか、屋敷にまで町で見かけた美しい少年を連れ帰っていたほどの母なのだ。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ