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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第7章 天上の楽園

 その呟きは一人言のように聞こえ、特に春泉に返事を期待しているようではなかった。
 けれど、春泉は小さな声で応えた。
「その女人は恐らく選ばなかったのではないでしょうか」
「―選ばなかった?」
 意外そうな秀龍の声が返ってくる。
 春泉は思慮深げに考え込んだ。
「選ばなかったというより、選べなかったのではないでしょうか」
「それは、どういうことだ?」
 秀龍の物問いたげなまなざしから、春泉はそっと視線を逸らす。
「どちらも同じだけ愛していたから、選べなかった、もしくは、その方自身にも、どちらの殿方をより恋い慕っているかは判らなかったと思うのです」
 その瞬間、秀龍がハッとした表情で春泉を見た。
「まるで、そなた自身のことについて語っているような口ぶりだな。到底、他人事を話しているようには見えない」
 どこか皮肉げな物言いに、春泉は哀しげに瞳を揺らした。
「そなた、やはり男がいるな?」
 それは質問というより詰問、もしくは、決めつけているように聞こえる。
 春泉は力なくかぶりを振る。
「私には、そのような方はおりません」
「ならば何故、そのように今にも泣きそうな顔をする? そなたが辛そうにしているのは、その男のせいだろう? その男がそなたの心をいまだに独り占めしておるのではないか? それゆえ、そなたは私をけして受け容れられぬ、生涯、夫婦の交わりは叶わぬと頑なに拒み通しておるのだろう」
 烈しい口調に、秀龍の深い怒りが窺える。なすすべもなく立ち尽くす春泉に、秀龍は立ち上がると背を向けた。
「もう良い、陽もそろそろ傾いてきた。帰る」
 冷たい口調、刺々しい態度、先刻までのあの夢のようなひととき、二人で並んで金色の蝶を眺めた時間が嘘のようにすら思える。
 折角、忘れられない大切な想い出になると思ったのに。
 春泉は込み上げてきた涙を堪(こら)え、秀龍の強ばった背中を追いかけた。

 夜になった。いつも訪れる時間になっても、秀龍は一向に姿を見せない。春泉は一人、うなだれて座っていた。

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