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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第7章 天上の楽園

「―オクタン!」
 春泉は涙混じりの声で叫んだ。
「オクタン、助けて。オクタン」
 私を一人にしないで。
 春泉の懸命な心の叫びを感じ取ったらしく、オクタンは眼顔で頷くと、丁重に秀龍に頭を下げた。
「旦那さま、今宵はどうか、若奥さまのこと、これ以上はお許し下さいませ」
「そなたを呼んだ憶えはないぞ、下がりなさい」
「駄目、オクタン。行かないで。私を一人にしないで」
 春泉が涙の一杯溜まった瞳で訴える。
「下がれと申すのが聞こえないのかッ」
 滅多に使用人に向かって声を荒げない彼が怒鳴った。
 と、ミャーと鳴き声が聞こえ、チリリと澄んだ鈴の音が響いた。
 秀龍がハッと我に返ったような表情で、音の聞こえた方を見る。
「小虎、お前は一体、どこに行っていたの? 夕刻から、ずっと姿が見えなかったじゃないの」
 オクタンがこの場には不釣り合いな朗らかな声で話しかけると、猫はまた、ミャーと鳴いた。遠乗りから戻ってきた後、小虎は夕食の時間にも姿を見せなかった。食いしん坊のこの猫が食事時にどこかへ出かけることは滅多とないのだが―。
 柳家にいた頃は、〝小虎さまのための特別食〟がわざわざ猫用に作られていたのだが、流石に、嫁ぎ先まで同じ待遇は受けられず、彼は目下、ご機嫌斜めのようだ。
 仕方なく、春泉が直接厨房に行って、顔見知りになった女中から残り物を分けて貰って、それが小虎の食事になっていた。
 灰色の猫の瞳はよくよく見ると、ごくごく淡い緑―翡翠色に見える。その翡翠色の大きな瞳がじいっと秀龍を射るように見開かれていた。 (猫イラスト)
 秀龍はその猫の瞳から眼を逸らし、低い声で言う。
「もう、良い。オクタン、今夜は春泉をゆっくりと寝ませてやってくれ」
「旦那さま、むさ苦しい部屋ではございますが、若奥さまを私の部屋にお連れ申し上げてもよろしいでしょうか?」
 オクタンの控えめな申し出に、秀龍は力なく頷いた。
「ああ、頼むよ」

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