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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第8章 夫の秘密

 秀龍さまには、ずっと私だけを見ていて欲しいのに。
 でも、それは所詮、無理な望みに決まっている。
 差し出された手を取らなかったのは、私はの方だもの。
 私は、二年前もあの男(ひと)が差しのべた手を取らなかった。ああ、光王。
 あなたは、今、どこにいて、何をしているの? もし、あなたが今、ここでもう一度、私にあの日と同じ科白を言ったとしたら、私は、どうするのかしら?
 私は、今度こそ、あなたについてゆくだろうか。
 私は一体、誰を、何を求めているのだろうか。私が愛しているのは、光王、それとも秀龍さまのどちらなのだろう?
「春泉! 春泉?」
 呼び声が段々と大きくなってゆく。
 ああ、私を呼ばないで欲しい。先刻の哀しい光景が夢であれ現実であれ、私はもう、あんなものは見たくない。
 このまま、二度と醒めない深い深い眠りにたゆたっていたら、あんなものは見ないで済むだろうから。
「春泉、どうしたのだ? 春泉」 
 呼び声に呼応するように、意識がぽっかりと眠りの底から浮上してゆく。
「―!!」
 春泉は声にならない声を上げて、眼を開けた。
 それまで部屋の片隅で眠っていた小虎が飼い主のただならぬ様子に、敏感に反応した。春泉が眠っている間に、散歩から戻ってきたのだ。翡翠色のつぶらな瞳を開き、ゆっくりと立ち上がる。
 しかし、小虎がすり寄ってきても、春泉は全く上の空で、まだ夢の中をさ迷っているような心地だった。
 いつもなら、甘えてすり寄れば、すぐに〝よしよし〟と抱っこしてくれるのに、今日は相手にもされない。何度か膝に前脚を乗せて、〝こっちを見て〟と訴えるように鳴いてみたけれど、春泉が見向きもしないので、不満そうに鼻を鳴らした。
 また、トコトコと部屋の隅まで歩いて戻り、丸くなった。
―やれやれ、仕様がないな。
 その表情は、ぼやいているようにも見える。やがて、猫は再び眼を瞑って眠ってしまった。
 春泉はといえば、愛猫の苦悩(?)にもいっかな気づかない有り様だった。

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