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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第8章 夫の秘密

 私が何も知らないと思っているから? だから、妓生とあんな夢のような淫らな刻を過ごした後、平然と何もなかったような顔で帰ってくることができるのだろう。
 今、自分の額に触れているこの手が、香月の白い膚を愛撫したのだ。まさしく、あの夢の中で見たように。
 そう思った途端、嫌悪感と厭わしさが込み上げてきて、春泉は咄嗟に秀龍の手を振り払った。
 しまったと思ったときには、遅かった。
 秀龍の面を傷ついたような表情が一瞬、よぎったのを春泉は見逃さなかった。
 しかし、彼は気を悪くした様子も見せず、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「本当にどうしたのだ。何だか、いつもと違う。何かあったのか?」
 あったも何もない。
 あなたの重大な秘密を私は知ってしまったのです。
 そう声を大にして言い返したいのを堪え、春泉は言った。
「別に何もありませんでした。ぼんやりと考え事をしていたら、つい眠ってしまったようです」
 我ながら、何とも無愛想な声と態度だが、あんな話を聞いた後で、何もなかったような顔でいることなんて、できるはずがないではないか。春泉は秀龍とは違う。
 意中の女とこそこそと密会しておきながら、それを態度に出さないでいる彼のように役者ではないのだ。誠実そうなのは見せかけだけで、本当は秀龍は息をするように嘘をつくことのできる男なのだ。
「そう、か。それならば良いが。五月といっても、陽が落ちれば、冷える。うたた寝は身体に良くないぞ?」
 その言葉で、春泉は改めて自分が長い間、眠っていたことを知った。秀龍が帰ってくるとすれば、既に常の夕餉の時間を回っているはずだ。いつもは女中がここまで食事を運んでくるのだけれど、春泉がよく眠っていたので、起こすのを遠慮したのかもしれない。
「随分と寝過ごしてしまったようです。今、何刻くらいでしょうか? いつもなら、誰かが夕餉の膳を持ってきてくれるはずなのですが」
 ああ、と、秀龍が笑った。
「今日はたまたま仕事のキリが早くついたのだ。まだ、宵の口だから、夕餉の時間には間があるのではないか」

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