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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第8章 夫の秘密

 だが、祝言を挙げて、たったの半月、はっきりとした理由(むろん、理由はあるにはあるのだが、極めて外聞をはばかる理由だ)もなく、婚家を出るのは、あまりにも無謀だし、非常識すぎる。
 この結婚のために、母は残り少なくなった父の遺産を惜しげもなく使い、春泉の嫁入り支度を整えてくれた。常民の娘が両班家に輿入れするのだからと、無理をして華やかな衣装や立派な箪笥を用意したのだ。
 春泉が養女となっている孔家の夫妻は両班とはいえ、内証はお世辞にも豊かとはいえない。孔家には何度か挨拶に行ったことがあるだけで、付き合いは全くなく、あくまでも婚姻に必要な〝両班の息女〟の肩書きを得るためだけの形式的な養子縁組だ。
 孔家にすれば、頼んできた皇家の威光には逆らえないゆえ、不承不承、名前を貸したというだけで、突然、降って湧いたように現れた養女に、何をしてやるつもりもないのは明らかだった。
 嫁入り支度の散財が祟って、今、母がかなり生活をきりつめていることを、春泉は知っている。
 その母の心に応えるためにも、迂闊にこの屋敷を出ることはできない。
 けれど、このまま一緒にいても、底なしの沼に沈んでゆくように延々と傷つけ合うだけのような気もする。
「私はどうしたら良いの、小虎」
 むろん、猫からの返事はなかった。それでも、小虎は応えるように、ミャとひと声鳴き、大きな翡翠の瞳をくるくると動かす。
―僕は春泉がどこに行こうと、春泉の行くところなら、ついてゆくよ。
 小虎の心の声が聞こえてくるようだ。
「そうね。小虎とオクタンが一緒にいてくれたら、私はどこだって生きてゆける」
 春泉は笑って小虎の頭を撫で、そっと両開きの扉を閉めた。

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