テキストサイズ

淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第8章 夫の秘密

 その三日後の夕刻。
 秀龍は都の外れ―色町にいた。ここは妓房ばかりが軒を並べる一角で、昼は夜の喧騒が嘘のようにしんと静まり返り、廃墟を思わせるほど静かだ。
 しかし、夜の帳が降りれば、そこは一変し、まさに華やかな夢の世界が繰り広げられる。
 男たちは酒と脂粉の香りに酔いしれ、妓生(おんな)たちは舞い、謳い、楽を奏でる。
 夜通し煌々と明かりが灯り、その灯火が消えるのは、妓生たちが客の男と一夜の夢を結ぶためにそれぞれの寝床に入る夜更け過ぎである。
 男たちは妓生たちに、夜毎、偽りの誓いや睦言を囁き、嘘の約束を交わす。もちろん、女たちもそれが口先だけのものだと心得ているから、絶対に本気にしない。この色町で一夜限りの恋の花が今宵もまた幾つも開き、儚く散る。
 夢だからこそ、嘘も美しい。ここでは、嘘を夢という甘い魅惑的な響きの言葉にくるんで、恋の駆け引きをする。むろん、その駆け引きもすべてが夢、まぼろし。遊びだと判ってやっているから、男も女も何の後腐れもない。
 だから、妓生たちが〝お母さん〟と呼ぶ妓房の女将は女たちに口が酸っぱくなるくらい言い聞かせるのだ。
―本気になっちゃア、いけないよ。両班の男なんて、あたしたちを人間だとも思っちゃいないんだからね。あいつらは、妓生をいつでも欲望処理に使えるおまるくらいにしか考えちゃいないんだ。
 その実に下品できわどい冗談に、若い妓生たちはどっと声を上げて笑うのが常だったが―、ただ一人、笑わない妓生がいた。
 翠月楼の稼ぎ頭、この色町でいちばんの売れっ妓香月である。〝傾城香月〟と異名を持つ、この十九歳の妓生はけして笑わない。
 香月が翠月楼で初めて遊女として客にお目見えしたのは、今から半年前のことになる。それまでは下働きとして女中代わりの雑用をしたり、走り使いをしていた。
 十八歳というのは、妓生になるには少々、遅すぎる感があるが、香月の才知と美貌は、そんな不利な条件を補って余りあった。
 香月は気に入った客としか褥を共にしない。つまり、客に選ばれるのではなく、妓生が客を選ぶのだ。この半年で彼女と床入りする僥倖に浴したのは、片手で数えても余るほど、つまり数人程度。嘘か真かは知らねど、ひそかに囁かれている噂である。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ